え、その相槌早すぎない?本当に理解や共感してる?嘘はすぐばれるよ?コミニケーションでは共感が大事だけれど、それより重要なのは、僕たちという主語を使って、一緒に迷路をくねくねと、スタート地点からゴール地点まで歩くことかもしれないぜ。

実際に自分が共感している、と言う部分がすごく重要だよな。この1行を見逃したくない。

コミニケーションの技術として、言葉だけで言っても仕方がない。

まずは、相手の話を理解して、共感できる部分を探すところから。そのプロセスがないと、相手には空虚に響くだけだしな。 https://t.co/EvfSRJCxMh

これを何か勘違いしていて、とにかく同意すればいいんだ、共感を示せばいんだと思っている人がいるかもしれないけど、そういう人の言葉は、1番最初は相手も、嬉しさを感じるだろうけれど、何回も話を積み重ねると、だんだんその中の本質が、

実は全く理解の円の中にないのではないかと言う事は、

本能的に分かり始める。

関係ないけど、1つの物事を話すために、ここまで冗長になってしまう癖も治したいけれど、僕の場合は迷路のスタート地点からゴール地点までがくねくねとして長いみたいだ。

閑話休題。だけれど、今話した2つのトピックをまとめると、あまりに早すぎる共感や同意と言うのは、迷路の中をくねくねとしていないのだ。

1人の人間が考えていること、悩んでいること、シチュエーション、歴史、環境、感情、そういったものがいくつも折り重なって、

人間の1つのメッセージと言うのは生まれる。

それを一瞬で理解して、少ない言葉から神のようにunderstandingして、共感や理解を示せるのだとしたら、その人は神様だし、神様であれば仕方ないけれど、僕らは普通の人間なのだから、そんなに一瞬で答えがわかるのかと思ってしまう。

とりあえず理解や共感を示してから、それから後付けで頭で考えて、相手の事情を察する、さらにコミニケーションをとって理解を深めると言うのは全然アリだ。

だけど実は迷路の入り口にも立てていないのにもかかわらず、私はゴール地点までたどり着きましたよ、

あなたの気持ちがわかりますよ、共感できますよ、理解できますよと言うのは、なんだろうなぁ。

例えばあなたが、1年間悩んでいるものがとがあったとして、それを人に話して、1秒で理解できます、共感できますよと言われたら、その相手の人は、あなたより何万倍頭が良くて、問題解決能力に優れているんだろう。

だけどよほど人間の観察能力に優れた、人間を見てきた、同じ悩みを経験してきた、イメージとしては辣腕の経営者の人でもない限りは、相手の頭の中を見通すことなどできないのだから、早すぎる理解や共感と言うのは大体嘘だ。

前述した通り、嘘から出た真にするのは良い。だけど、嘘から出た嘘にしてはいけない。そーゆー薄い理解や共感でも、一瞬の人間関係であれば、騙すことができるかもしれない。だけど相手が敏感な人間であること、嘘は察知されるし、

仮に相手が鈍感な人間であるにしても、1ヵ月2ヶ月、コミニケーションを重ねるごとに、あなたの嘘の軌道は、ボーリングの球が少しずつ外れてガーターに落ちるみたいに、ピンを倒すことができなくなるだろう。

あなたと言う言葉で話しかけてしまったけれど、これはいつも通り、自分が考えたことをつぶやいているだけだ。

関係ないけど、主語を私にするか、僕たちにするか、あなたにするかと言う事は、フォーマットの違いではあるけれど、大きな違いかもしれない。

僕はなんというか、僕たち私たちと言う表現が好きなので、共感を示すには、

僕らとか、僕たちとか、私たちとか言う主語で話すと、その手法の違いだけで、相手に共感ができるようになるかもしれないな。主語はコミニケーションを変えると言うのが僕の持論だし。

え、その相槌早すぎない?本当に理解や共感してる?嘘はすぐばれるよ?コミニケーションでは共感が大事だけれど、それより重要なのは、僕たちという主語を使って、一緒に迷路をくねくねと、スタート地点からゴール地点まで歩くことかもしれないぜ。

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