裏表のある人間、ない人間、自己抑圧とペルソナ。自分でも心理セラピーはできる。セルフトークによって。きっかけはYouTubeだった。

裏表のある人間、ない人間、自己抑圧とペルソナ。自分でも心理セラピーはできる。セルフトークによって。きっかけはYouTubeだった。

裏表と言う感覚が、昔から、割とわからなかったりする。自慢だけれど、裏表がありそうと言われた事は人生であまりないな。

人はどうやら、本当の自分と嘘の自分を切り分けて生きているみたいだ。だけど僕としては、全てが真実の自分だと思っている。 https://t.co/9PwjdtmdcG 人間は相手によって態度を変えるけれど、それはごく自然なことだと思っている。

親にも兄弟にも友達にも会社でも態度が変わらない人がいたら、それはそもそもコンテキストをうまく扱えていないだけで、誰にも同じような態度と言うのは、彼氏彼女の事情の最初の頃の有馬みたいな、そーゆー冷たさ。

なので、いついかなる場所、いついかなる時でも、自分は真実の自分であり、コンテキストによって態度を変えるのは、単にペルソナが変わっているだけだと考えている。ペルソナ包み、懐かしいゲーム。いやペルソナ2罪。

だけど最近感じたのは、自分がものすごい自己抑圧、抑制を3年間ぐらいは続けてきたと言うことだ。単純に自分の心に対して、裏表のようなもの、感受する能力が低いだけなのかもしれない。どちらが真実かわからない。

僕がYouTubeの動画でたくさん語って、心理セラピーみたいな効果を得て、自己抑制から解き放たれたとき、止めどなく涙が流れてきて、人生で初めて自分を理解できた気がしたのだ。

ちょっと人間の裏表と、自己抑圧の2つの話がごっちゃになっている気もする。常にいかなる時でも、真実の自分であると言うことと、現行不一致だと言うことと、自己抑圧に対する感受性があるかと言うこと、このばらばらの文脈から、本当らしいものをつかんでみたい。

だけど今の僕にはどうやら、わからないことかもしれないけれど。

いったん話を整理する。

僕は裏表があまり激しくない人間だ。だけど無意識に自己抑圧をしていたと最近気付いた。だからといって、自分が解放されても、裏表が生まれるわけではない。より裏表を作らない形での、自己解放。

現行不一致は、また別の話のような気がしてきたなぁやはり。真実の自分であるかどうかと言う文脈と、真実を言いたいのに言うことができないと言う自己抑圧の問題は、言葉にでいるけれど、全く別の問題かもしれない。 ということで、これは結論が出なかったタイプのツイートにすることにする。

裏表の激しい人間と、激しくない人間がいる。現行不一致の人の気持ちは、僕にはほとんどわからない。

それとは別に、自己抑制によって真実の自分でいられない感覚と言うのは、つい最近理解できた。涙が溢れてきた。

自分でも心理セラピーはできる。セルフトークによって。きっかけはYouTubeだった。 https://t.co/otO0ROZW8d

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