職場を遊び場にする 〜内発的動機と外発的動機〜

「職場を遊び場にしたい」

 

1ヶ月に1度ぐらい、このコンセプトが思い浮かぶ
僕個人にとってこのキーワードは、働き方として最高のものを表現している。

 

「仕事でキャリアを積み上げる」とか「バリバリお金を稼ぐ」とか、世間一般的な目標よりもコミットできる気がする。

なおかつ「それなりに働く」「お金さえもらえれば良い」など、マイナスの目標よりもずっと魅力的だ。

 

たとえばプログラミングが根っから好きなエンジニアは、趣味をしながらお金をもらっているだけで、決して仕事をしているわけではない。

世の中には、優れた職業人で「人生でいちども働いたことがない」という感覚の人さえいるらしい。

 

そんな感じ。 

 

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ブロック遊びをしている子供のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

内発的動機

人は「内発的動機」がないと、絶対に動かないように出来ていると思う。

 

仮に、一時的に自分が思ってもいないような外発的動機をでっち上げても、絶対に長続きはしない。
モチベーションはごく短命に終わる。それは身にしみて、経験で分かっている。

不味い食事でダイエット続かないのと同じように。

 

自分がコミットできない目標を作っては、2、3日で炎が消えたことがなんと多いことか。

(時には数時間、数秒でその炎は消えてしまう)

心理と仕事の整合性

こんなことを考えたのは、

「自分の個人的な目標」と「仕事上の目標」の間で、どうにか整合性を付けたいと思ったからだ。

 

たとえば「社内での評価を高めよう」という、仕事上の目標があったとする。
それなら「社内の人ともっと関わる」という直接的な行動を取るのは、近道のように思えるだろう。

 

それがなかなかうまく行かない。

なぜなら、この目標に対して、心理的にコミットできない自分がいるからだ。
目標にコミット出来なければ、行動にもコミットすることが出来ない。

 

「自分の評価を上げよう」という動機で人と関わることが出来ない。

だけど評価を上げたり、評価を上げるような働き方をしていく必要はある。

どうすれば良いか?

 

もちろん

「良い仕事をするために、他の人とより強く関わる」

「結果的に会社での評価も上がる」

という風に考えることも出来るかもしれない。

「結果は後から付いてくる」というように。

 

だが「良い仕事」とはそもそも何なのか。

それは僕の場合「眼の前のPCと向き合う」というイメージがどうしても強い。

橋渡しをする

「コミットできないなら、そもそもやらなければ良いじゃないか」と思うかもしれないが、
「仕事のキャリアとして必要だ」ということと「個人の心理的に抵抗がある」という現象は同時に起こる。
というよりも、まさに仕事の仕方を変える上で最大のブロック要因となるのが、この「外側」と「内側」のギャップだと思う。

 

だから大事なのは、どうやって「社会的(外的)な目標」と「内発的な動機」をミックス出来るか。橋渡しが出来るかということだ。
その上で「職場を遊び場にする」というコンセプトは、うまい具合に働いてくれるんじゃないかと思った。


少なくとも、その他の全くコミットできない動機よりは、はるかに豊穣なテーマに思える。

 

- 社内の評価を高めたい => 評価が高まるように社内の人と関わろう (行動は直接的だが、全くコミットできない)
- 社内の評価を高めたい => 社内の人と普通に仲良くしたいから、そうしよう (中程度にコミット出来るが、まだパワーが弱い)
- 社内の評価を高めたい => 職場を遊び場にしよう (強くコミット出来る。職場を遊び場にしようと思うなら、周りの人と関わるのは自然なことだ)

 

 

究極の「人生RPG化」本 | LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 100年時代の人生戦略

保険屋さんに勧められて、普段読まないジャンルの本を読んだ。

また新しい世界が開けそうな気がした。

 

そして、人生に希望を持たせてくれる強力な本だと思った。

 

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人生に対する価値観が人生を決める

僕の個人的な話。

自分は昔から、ちょっと世の中を一歩引いて見ているというか、物事に対してあまり熱くならないタイプだった。

「洗脳に強いタイプ」とでも言おうか。

あまり世間には流されない性格だった。

 

「たとえばどんなに良い人生を送ったって、最後にはどうせ死んでしまうんだよな」という思考が数秒で浮かぶことが多かった。

悪いと言っているのではない。これはひとつのコインの表と裏。強みでもあり弱みでもあると思っている。

 

なので人生を良くしようとか、仕事でキャリアを作ろうとかいうことに、なかなかモチベーションを持てなかった。

だけどこの本を読んで「人生というゲームの楽しみ方はこうだ」と教えられている気がした。

 

1年前からの瞑想で心理状態が安定し、食事の改善で健康状態が安定し、運動もやり始めた。

個人的なエネルギー状態は向上しているのだけど、人間関係に大きな穴が空いていると気付き始めた頃だった

 

ちょうど読んだタイミングも良かったのだろう。

自分が描く地図に、大きな穴がある。

そいつを補完してくれそうな本だと思った。

 

(優れた本を読むたびに、自分に欠けていたものに気付かされる気がする)

 

人生は希望があるから面白い

このことは薄々気付いてはいた。

人生を楽しめるのは、きっと、人生に希望を持っている人だ。

 

人生に希望があるからこそ、仕事のキャリアも作るし、貯蓄もするし、健康面にも気をつけて、長生きを楽しもうと思う。

逆に人生に対して浮き草のようなイメージを描いていれば、

 

根本的には、僕は「人生」という概念自体が仮のものだと思っている。

だけど「人生(仮)」というゲームをより楽しめるのは、案外悪くないかもしれない。

 

人間関係は無形の資産だ

本に書かれていた中で、これが一番印象に残ったキーワードだ。

 

人間関係は資産の一種類。

だから、そこには「育てる」「投資」というロジックが働く。

こう言ってしまうとドライに聞こえるかもしれないが、人間関係が資産だと思った瞬間に、人間関係に対して希望が湧いてきたから不思議だ。

(僕の脳の中で、どんなプロセスが働いたのかは、まだ言葉にできない。「理解」という仕組みは本当に不思議だと思う)

 

そう考えると、僕は今まで人間関係という資産に、いかに無頓着で、投資をしてこなかったかということに気付かされる。

家族との関係、友人づくり。どれも熱心にはおこなわなってこなかった。

「ひとりでも生きていけるし、むしろ誰にも知られず、誰も悲しませずに死にたい」と思うぐらいだった。

 

だが人生において幸福度が高い人に共通するひとつの要素は、強力な人間関係を築き、強い社会的なつながりがあるようだ。

だからこれから「人はひとりでは生きられない」ということを、少しずつ学んでいくのも良いと思う。

 

人生に対する心的イメージ

 

ところでなぜ、キーワードひとつで、物事に対する理解が180度変わってしまうのだろう。

 

皮肉な見方をすれば「ただ言葉に踊らされている」のかもしれないが、逆に僕らは、普段から「無意識に信じている、古い言葉」に踊らされているのかもしれない。

古い心的イメージに引きずられて、真実(もしくは、真実により近い形)を正しく理解していないのかもしれない。

 

どちらにせよ世界をひとつの方法で理解するならば、より幸福度の高い理解をした方がはるかに良いはずだ。

人生には希望が持てないより、希望が持てた方がこのゲームは楽しくなる。

 

 

スターバックスのオススメ 「トールサイズの抹茶のティーラテ オールミルク シロップ抜き ディカフェのショット追加」

毎回、レジで注文をためらうぐらいの長い注文だ。

 

4回に1回ぐらいはストレートな抹茶のティーラテではなくて、こいつを飲みたくなる。

 

店員さんにオススメしてもらったんだけど、

辻利の抹茶」(京都の有名なカフェ)みたいな渋い味わいになって、こいつが非常に美味い。

 

 

 

1年ぶりに訪れたBAR

久しぶりだった。

1年前にはちょくちょく顔を見せていた場所。

 

当たり前だが、スターバックスよりはずっと騒々しい店だ。

 

最近、またこの店に来たいと思いながらずっと二の足を踏んでいた。

店の前まで来ては「今日ではない」と踵を返したり。

店のことを思い浮かべながら「でも、行ったら行ったで虚しい気持ちになるかもな」なんてことを考えていた

 

だが遂に、今日は扉を開いた。

 

店に入った瞬間に「ああ、懐かしいな」という感覚を覚えた。

「ああ、嫌だな」と思う可能性の方がずっと高いと思っていたのだけれど。

 

いつも頼んでいた「王道ハイボール」を頼む。

すっかりお酒も弱くなって、1杯を飲むのに2時間かかった。なんとも経済的だ。

 

こういう場所で一番の危険は、人がたくさん増えてきて、「ひとりきりの孤独」を感じてしまうこと。

そうすると、もう来たくないという感想になってしまうだろう。

 

なので、17時頃に店に入って、店が混み始める前に帰った。

 

ある時は心地良く、ある時は心地悪い。

その両方の感覚を味わいながら、大げさに言うのならば、生きている感覚を噛み締めていた。

 

お酒を飲む時はついつい飲みすぎてしまうものだけれど、

自分が飲み過ぎだと思う25%ぐらいのレベルで止めておくと、酔っているような、酔っていないような、その境界線を行き来する、ふわっとした感覚を味わうことが出来る。

 

お酒を飲む技術というのは、この酔い具合を本当に節度のある、適度なレベルに漂わせておく技術なのだ。きっと。

 

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1年前とは店内も変わっていて、前はただ通りにくかった店の隅に、シャレたカウンターが置かれていたりした。

 

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ほつれ

睡眠をよく取っている。

食事も改善した。

瞑想を1年続けて、心理状態も飛躍的に安定した。

仕事もうまくいき始めている。

さらには、本当に苦手分野だった運動もし始めている。

 

そんな時にふと、人間関係について思い浮かぶ

家族や友人との連絡が希薄になっていることに気付く。

知り合いのあの人からも、その人からも返信がない。

新しい人との出会いもほとんどなくなっている。

 

ほつれ。

ほどけている部分に気付いたら、また結び直す必要がある。

 

人生は一筋縄にはいかない。

なかなか面白いじゃないか。

JBL のblue toothステレオ「Authentics L8」を買った

6万円。

何度もヨドバシカメラに試聴しに行って、遂に注文した。

 

ヨドバシカメラの騒音の中で聴くのと、静かな家の中で聴くのとでは、かなり印象が違う。

すごく音の主張が強い気がした。

ベース音も強すぎて、音がぼやけているように感じる。

 

アプリから音のバランスを調整して、低音を低めにしたら良い感じになった。

 

最初の日は、どうにも音が際立ちすぎて、バックグラウンドミュージックには向かないかなと思って悩んだ。

ちゃんと耳を傾けて聴くのに向いているというか。

「良い音」「悪い音」というとは別に、音の「主張の強さ」というものがあるのだと、はじめて理解した。

 

だけど3日も経つと耳が慣れてきて「こいつじゃなくちゃ、音楽を聴きたくない」ぐらいの感覚になってきた。 

オーディオ機器がエイジングするというのは嘘で、耳のほうがエイジングするのだと思う。

 

ところでリモコンは付いていない。

スマホにつなげて使うんだから、スマホがリモコンでしょ?」っていう思い切りの良さを感じた。

 

ただiPhone側の音量設定がすごく荒いというか、適切なボリュームにするのが難しいので、iPhoneに音量微調整のアプリを入れた。

 

 

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ヨガスタジオ「スタジオヨギー」に体験に行ってみた

お会計

 

レッスンが終わった時にお会計を請求されて、「えっ」ってなった。

体験申し込みをした時は、お金がかかるようなイメージはなかった。

 

「あ、体験のつもりで来たんです」

「無料の体験というのはやっていないんですよ」

 

店を出た後、改めてウェブサイトを見返してみると「体験でもお金がかかる」ということが、非常に分かりにくい表示になっていた。

これは経営戦略だ。

 

申し込みページなどでは、実際にお金がかかることは分からないよう、曖昧な表示にしておく。

そしてレッスンが終わった時に、

 

「えっ、お金かかるんだ」

「今回だけで1回3000円? 嘘でしょ」

「でも3回使える体験チケットは4500円で買えるんだ」

「それなら4500円の方にしてみよう」

「チケットも買ったことだし、3回ぐらい通ってみようかな」

 

こうやってなし崩し的にスタジオに通い始める、ある意味モチベーターとして動くシステム。

こういう必要悪なんだ、きっと。

 

 しかし消費税を入れるとほぼ5000円。

 

「だまされた」と、後からじわじわ来るダメージと、

スターバックスでいうと10回分ほどのお金が、月初に飛んで行ったのは痛い。

(まあ、月末に飛んで行っても同じように痛いんだろうけど)

 

スマホの家計簿に5000円と記入するのが辛かった。 

いつでもお金のことで辛いのは、自分が納得のいかない使い方をしてしまった時だ。

なので午後の2時間ほどは、そのことが頭をぐるぐると回っていた。

 

(レッスン開始ギリギリに行ったので、事前説明を受けられなかったというのもあるかもしれない。ごめんなさい。。)

 

レッスンについて

 

ところで肝心のヨガのクラスはというと、辛さもあり、学ぶこともあった。

チェーン店なので期待はしていなかったのだけど、ヨガを教える先生は「体の使い方」について、含蓄深いことをおっしゃっていた。

 

「ヨガをした後、強くなった体で、再び座ってみる」

「ヨガは心地良いことだと体に教えていく」

 

というようなことをおっしゃってた。

約90分のレッスンが終わる頃には、日頃は感じにくい爽快さを感じていた。

 

ただ、グループレッスンでは仕方ないことだと思うけど、なかなか難しい面もある。

それは、みんな、一斉に同じリズムで体を動かさなければいけない。

なので、どうしてもヨガというよりは、体操に近いものになってしまうんじゃないだろうか。

 

ヨガの醍醐味はたぶん

「自分のリズムで体を動かして、体の神秘を味わう」って感じだと思うのだけど。

グループレッスンだとそれがどうしてもやりにくい。

ひとりで自分のリズムで、ゆっくり心地よい部分なんか探していたら「え、あの人何?」って感じで、確実に浮いてしまうだろう。

 

こうやってレッスンで習ったポーズを、部屋でひとりでも出来るようになったら、面白いんだろうなと思った。

 

この5000円のもとを取るにはどうしたら良いか、と考えていたりする。

(実際には何かのキャンペーン中で税込み4000円ぐらいだった)

 

その後

 

気になっていた本が置かれていて、内容を確認できたことで500円ぐらい浮いた、と考えてみることにした。

 

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(こんな行動を取っている時点で、まったく悟りなんか開けていないのだが)

 

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全然関係ないけど、この世の中にはもっと高額なサービスもたくさんあるんだ、と思って、自分を慰めることにした。 

 

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特別優待券は人にも譲れるみたいなので、

これで1000円ぐらい浮くと思うことにした。

(タダであげるにしても、友人が得をするということは、自分が得をするということだ)

 

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