とあるエンジニアの再就職日記 2019-04-01 by 稲浦悠馬 いなうらゆうま
邪魔をするな、ヒントをくれるな、自力で解決する。
誰がなんと言おうとも、最後の最後まで質問しない。こんな一番ダメなやり方でも、前職においては、それなりに仕事の結果には評価を得たものである。これを善と見るか悪と見るか。
性格によっては、分からないことを質問するのが何故こんなに高コストであるのか、なんとかして豊穣に言語化しておきたい気持ちが沸き起こる。
うまく踏み台を作れるだろうか。
邪魔をするな、ヒントをくれるな、自力で解決する。
誰がなんと言おうとも、最後の最後まで質問しない。こんな一番ダメなやり方でも、前職においては、それなりに仕事の結果には評価を得たものである。これを善と見るか悪と見るか。
性格によっては、分からないことを質問するのが何故こんなに高コストであるのか、なんとかして豊穣に言語化しておきたい気持ちが沸き起こる。
うまく踏み台を作れるだろうか。
はじめてプロジェクトにジョインした時、アプリケーションをはじめて触る時、右も左も分からず、自分が恥さらしのバカになる感覚というのは、覚えたことがあるだろうか。
だが僕もリアルドラクエ転職を果たしたのだから、経験値はザラじゃないぜなはずなのだぜ。
仕事で最も危険なのは己の心理エネルギー、肉体エネルギーの浪費なのであるが、誰もそれを分かっていない。
焦れば焦るほど仕上がると思っている。
人に手を焼かせるのは大博打という感じがする。
成功すれば得るものは大きいが、失敗すれば信用を落とし、大やけどを追う。そう考えると僕は低リスク低リターン戦略を選びがちだ。あとあと回収できるかどうかを見込んで大きく賭けるが良いか。
仕事で人に質問するか、自分で考えるか否かの是非は、作業の進捗や、自問自答の効率効果、お互いの生産的コスト、その短期長期の尺度など、無限の軸によって評価が変わってくるのが難しいところだ。
やはり相手の価値観に合わせるのがベターか。
仕事のやり方について。
やはり人に聞く、自分で考えるということも、最適なのは往復運動であろうと思う。自分で考えて、最大、もしくは適度な道のりまで行って、引き返して、人に聞く。その逆の道もまたしかり。
困難なコードを噛み砕くほど面白いことはこの世に他にない。
アイデンティティ問題が起こっても良いではないか。
それが仕事といふものである。
リモートワークのためなら死をもいとわぬ。
三千里だって歩けるさ。
一息つくということを数秒ごとに無限に繰り返せば、仕事というものはまったく辛くないものである。
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カニのようにコードベースをながむるなり。
自宅のリモートワークではすぐそばに冷蔵庫と食物があるので、太り過ぎ内容に大いに注意を払おう。
人の信頼を得るということは、自分を大いにさらけだして、素直になることに尽きると思う。
既に経験や実力があるのであれば、なおさらそうだ。
悩んで考えつつアプリケーション開発をすることは本当に問題解決能力を向上させるのだろうかという根本的な疑問がある。
悩みと苦しみで得られるのは悩みグセと苦しみクセだけではないのだろうかと。
システム開発で技術ではなくアイデンティティ問題やコミュニケーション問題のあまりの大きさを感じるなど、認知できるだけでも成長したのだなと思うことにする。
自分が、アプリケーションのクラスやメソッドの、単にその利用者だとしたら、どのように設計するか。
それを基準に考えると、良い落ち着きどころが見えやすいと思う。プログラミングにもカスタマーサービス精神が必要だ。未来の自分を顧客に見立てての。
アプリケーションは恐ろしいほどに複雑化しやがるくせに、そいつを扱いやすい状態に保っておくのは、また無限にも思えるコストがかかるように思われる、究極のジレンマの間で、ソフトウェア開発者は永遠に悩み続ける。
アントニオ猪木が「元気があれば何でも出来る」と語っていたのは本当に究極の真実なのである。
僕らアプリケーション開発者に必要なのは元気なのだ。兎にも角にも。