そして誰もいなくなった 2019-03-31
人生の究極の虚しさに気づかぬようにプログラミングをしていろよ、おい侍。
僕はね?耳栓のコレクションをね?作りながら生きてるんですよ? そんな夢を今日は見られますように。
生存のためにこんなに考えて、お前は本当に涙ぐましいなあ。
午後2時は罪悪感にとらわれるものだと心に決めておる。
AlreaDy scheDuled
Twitterで知見を広めるのは業務時間に含まれますか? 「はい」「いいえ」
今日よりも明日が、良い日であれよ。
たとえ肉体は老いて動かなくなっても。それでも良い日であれよ。今日よりも明日が。
サムライごっこも禅師ごっこも、今日で終わりだ。
元の世界に戻ってこい。
Google Translate API を叩くのとか万能感があって面白すぎて。
あなたは自分が好かれるために、自己アピールが必要だと思いますか?
MacBookAir2018のトラックパッドとキーボードが神すぎてさあ。
もうこれさえあれば死んでもいいよ。ちなみにApple信者ではないけどMacBookAir信者ではあるよ。よろしくね。
ひとかどの人物などどこにもいない。
午後2時ごろはだんだんと、全ての感情がホルモンの働きによるものだということを、信じられなくなってくる。
脳のハッキングへの抵抗が難しくなる。必死の抵抗。毎日少しずつの訓練だ。
まだ最終出社日から4日しか経過していないが、だんだんとこの日常が当たり前になり、前職の雰囲気を思い出すことさえ難しくなってくるなあ。
僕は果たしてあの場所に存在したのだろうか。4年間の夢を見ていただけなのかもしれない。やはり人間のメモリは揮発性である。
勇者よ勇者、目覚めるのです。
今日は王様の城までマウンティングをしにゆく日ですよ。
せっかくなのだから永遠の休日の中で永遠にプログラミングを楽しみたいと考えてしまう俺はまさにプログラマにふさわしい気質を持っているだろうよと心がつぶやく。
エラーを治すところから。
ところでTwitterなどでつぶやきすぎると、なんだか自分がやりすぎたような感覚があるが、それは1/3以下に差し引いて良い。
どちらにせよ人というものは、自分のことに精一杯なのであるし、自分が思う30倍も、人は自分のことは見ていないものである。
Twitterでプログラミングをしながらつぶやいていると、他のエンジニアの人にも話しかけたくなるし、連帯感もあり、知見もどんどん得られるし、楽しいものである。
まるで永遠に生きられるかのような錯覚に陥り、寿命や死を数瞬忘れていられる。
むかし俺はプログラミングが嫌いだと言ったな。
あれは嘘だ。プログラミングは大好物だ。否。好き嫌いの違いなどない。今、恍惚と出来ているかそうでないかの違いがあるだけだ。分かるか。
みてくださいこの素晴らしい光景を。
これが個人開発のPullRequestですよ。
crontab -e を 今までいちども crontab -r と押し間違えたことがないなんて、奇跡だと思うのだけれど、皆さんいかがですか。
https://ozuma.hatenablog.jp/entry/20120711/1342014448
ssh 経由で ssh の設定変えるときって、なんというか、自分で自分の首に刃をむけながら、綱渡りしてる感覚があるよね。
仕事が一段落すると言う。
これも優れた日本語。一段落は大好きだ。山登りだ。
良いか、プログラミングは自分の脳と、向き合う行為だ。
遊べや遊べよ。
プログラミングに虚無を感じた瞬間瞬間に、禅を思い出す。
修行だ。全てが。