誰も見ていないブログとソーシャル依存症
- ブログは誰も見てくれないと、虚しい。
- 誰かが見てくれていても、何のリアクションもないと、悲しい。(コメントとか、いいねとか、Twitterでの拡散とか)
- リアクションがついても、1件や2件だけだと、満足できない。
- たくさんのリアクションがついても、他のブログには、もっとたくさんのコメントがついているので悔しい。
ブログが続かない大きな理由のひとつが「承認欲求の不満」だということは、古くより誰もが知るところだ。
だが実は、ブログを書いて瞬間は、すごく楽しい。(忘れているかもしれないが) しかし書き終わった瞬間から「一体、誰が見てくれているんだろう」という、別問題が発生し、問題自体がすり替わる。
イメージ
虚しさを感じる時。
自分の話は誰にも届かない。 こんなイメージ。
ブログ=自分 ?
ブログを書くことにコミットしていると、ついついブログ=自分自身という感覚になってしまいがちだ。 だがこいつは錯覚だ。
正確には、ただ「自分」が書いた「ブログ」がある。 だがこれは別々のもの。ブログは自分じゃない。
本体は、自分。 ブログは、付属物。
某はてなブログ
某Twitter
某チャットアプリケーション
某Facebook
以下略。
刷り込み
「ソーシャルアカウント」=「自分」という図式は既に、僕たちのイメージに刷り込まれている。 だがこいつにはまりこむのはヤバイ。
昔の人がTVCMに影響されたみたいに、今の時代には今の時代で、権力を振るっている刷り込みがある。
なに、ソーシャルに生きることこそが幸福だって? やったね。それなら何も問題はない。
僕はソーシャルが与えてくれる幸福を最大化し、不幸を最小化しておきたいんだ。