「嫌なことを忘れる」よりも「嫌じゃなくなってしまう」ことの方が簡単だ

「嫌なことをどうにか忘れる」というのは大変なことだ。 「嫌だ」という大前提があって、それをどうにか紛らわせようとする。

たとえば「週明けに会社に行くのが嫌だ」という「大前提」が存在する限り、対策は「会社のことをなるべく忘れる」ことになる。 そしてたまに思い出しては「嫌だなあ」「どうやったら忘れられるんだろう」という思考を繰り返す。

だが「週明けに会社に行くのは楽しい」という「大前提」さえ作ってしまえば、もう、会社を思い出すたびに嫌な気持ちになることはない。 実は、うまくさえいってしまえば、「大元」の情報空間を書き換えるほうがずっと楽で簡単だ。

たとえば会社に行くという、基本的に避けられないことであるばら。 「嫌だ」という前提に対して「忘れる」という努力をするよりも。 「嫌じゃなくなる」という「前提を作る」ための努力をしたほうが良い。

これには、微妙な心の働きをコントロールする必要がある。 自転車に乗れない人が、はじめて自転車に乗れた時のように、いちど「情報空間をコントロールしている感覚」さえ覚えてしまえば、あとは楽になるだろう。

「嫌だ」とか「好き」だとかいうものは、全て脳で作り出している情報だということを意識すべきだ。