そして誰もいなくなった 2019-03-27

就職活動はほぼ恋愛活動のようなものだと思う。

過去に培ったわずかながらの恋愛経験をフル動員して活かしていけば良い。

機が熟すという抽象領域は何なのか。

どうやら真実、存在するみたいだ。

今日は最終出社日だと思って、一瞬ドキッとしたのか、姿勢を変えて、一瞬ドキッとした瞬間にたまたま、今日は最終出社日だという思考が流れたのかかは、分からない。

後者の可能性はわりと高い。

自分のバイオリズムとして、朝9時半ごろは、ほんのうっすらとした自己嫌悪が湧き上がってきやすい時間帯なので、これはもう、いたしかたない。

さあ、出かけるかと、Zapierに深夜に語らせたので、タイムラグはある。

自分が善人だと思いこむ一瞬が、人生でワースト30ぐらいには嫌いだ。

そして、そのような順位付けをしている自分こそ、真実の善人ではないかと、メタ的に思い込もうとする瞬間もだ。

真実はどちらにでも転ぶし、転べ。

朝のスターバックスに来たばかりなのに、もう眠いと思いきや、よく数えてみると5時半の起床から、もう2時間は経過している。

時間というのはそういうものである。

夜は抽象のために、朝は具象のためにある。

どんな人間が良い人間なのかという議論の全てには途方もないほど意味がないと思う。

自分が愚か者であると感じた瞬間に、呼吸を一層深くせよ。

誰でも自分のことに必死なのだから、美しい世界が、結果論として成り立つ可能性はあるか。

僕が思うポートフォリオ作成のコツは、自分自身に最大素直になることだ。 #エンジニア #就職 #ノベル

いま再就職活動にあたって、ポートフォリオを作成している。これが書き始めてみると、なかなかに楽しい。まとまった時間が出来るというのは良いものだ。在職中は有給休暇をまるで使わないタイプで良かったと、こんな時に思う。4日ほどをまるごと死滅させてしまったこともある。いや、決して仕事中毒というわけではない。ところでポートフォリオ作成のコツは、何はなくとも素直に書くことだろうなと思う。就職活動は面接官と採用希望者の騙し合いだ、フェイクだという声も聞いたことはあるが、僕の価値観は異なるし、そうやってうまくいくはずがない。スーパーの大安売りの広告みたいに、お互いがお互いを差し引いて考える関係は、とても持続的とは言えないだろう。僕は自分に正直になる。企業も僕に対して、正直であってほしい。これはもう、僕の根本的性質からいって、致し方がないことではあると思う。と言えば聞こえは良いけれど、要するに、この世界のゲーム理論において、かなりの損をすることでもある。就職活動においては、自分をすごい人物に魅せるだろう。たとえばハンバーガーの広告でも、特に昔であれば、実物よりもかなり良いものに、視聴者に対しては見せていた。昔、おせち料理でニュースが賑わったこともあった。覚えているだろうか。つまり視聴者、消費者というのは、広告が誇大であるということから、いくらかの価値を差し引いて、考えるようにできている。Aに見えるものは、実際にはBぐらいであろう。Bに見えるものは、実際にはCであろうと。そこで自分を実直にBに見せてしまえば、実際の評価はCやDだということになりかねない。いや、なるだろう。これは社会の仕組み、人間心理の仕組みとして仕方がないことだ。いくら自分は素直に自己申告しているということを、自己申告したからと言って、誰もが自分を素直な人間だと自己申告するであろうから、要するに同じだ。自分の値段を高く見せない努力は、おそらく報われない。だが、だめだ。僕は自分を大きく魅せるスキルが欠如している。いや正確に言えば、自分を大きく魅せるスキルが欠如しているというPRを持ってして、素直さに訴えかけることで、自分の価値を伝えようとしていると言えるかもしれない。要するに、戦略の違いである。エリマキトカゲや、羽を広げた孔雀のように、自分をきらびやかに魅せるアイテムのある動物は、そうすれば良い。そうではなく、亀のように甲羅しか持たない動物は、その甲羅を後生大事に、僕はこのような甲羅しか持ち合わせていませんがいかがですかと、相手先に問い合わせるのが良いだろうと、僕の話はいつもこのように脱線を重ねるものであるから、せっかく良いことを書いていても、Qiitaでは特段の反響もないであろう。いや、ご安心を。これはひとつのノベルを描く気持ちで、つらつらと書き綴ることが目的ですので、面接官の方、実務においてはむしろ多くを語らず、言葉で人をノイズの海に取り込むようなことは、差し控えておりますので。真面目に働きますので、どうぞひとえによろしくお願いいたします。と、と、ところで、ポートフォリオ作成を素直に書くことが、本当にあなたのためになるかどうかは、分からない。あくまで僕は、自分の肌感覚と離れない、実直なところを書いておきたい。その文章の句読点ひとつひとつに至るまで、嘘がほんのわずかでも紛れ込まないようにしたいと言えば、理想ではあるだろうが、自分資産の見直しというものは、そもそも社会においての、自分という人材に素直になるチャンス、真実を見出すチャンスでもあろうから、このチャンスを不意にしたくはないのだ。嘘に嘘を塗りたくるほど、自分の魂のようなものから、大事なものが剥がれ落ちてゆくように感じるだろうと、この男はまた、ノベルからポエムへと転落し、Qiita読者に有益なことをコンパクトに、伝えることができぬ…。諸君、世の中の面接官を甘く見てはいけない、彼らは採用のプロである。少なくとも、採用のプロであることを想定しておいた方が良い。そこであなたのフェイクの技術が勝つか、採用官の洞察の技術が勝つかどうかは、分からない。だけど勝てる見込みのない戦であれば、しない方が良い。別の戦略をとるという、あまりにも偉大な行為が、人間にはできる。つまり自分の腹を見せて、まな板の上の鯉となり、料理がしやすいようにと、覚悟を決めることである。いやいや、企業と一介のアジャイルサムライは対等な関係であるのだから、自分自身ではなく、自分自身の料理を、混じりけのない味で、試食お願いするといったところだろうか。ここでのメンタルモデルの描き方も、とても重要だ。なぜならアイデンティティ問題を重さに乗せないほうが、良い。就職活動はアイデンティティとの戦い、もしくはその避け方の修業の場でもある。僕の場合であれば、4年間、企業で勤めた経験というものがある。なのでまるで素直にポートフォリを書いても、ある程度、人材価値を伝えられるという強みはあるかもしれない。だからこそ、ここで自分を大きく見せ、フェイクを繰り出すというのは愚策であろうことよ、なあ。なんだって、身も蓋もないって。いや、だがしかし、実務経験のない者こそ、己を多く見せかけて、それで得られるものなど、ごく微々たるものであろう。この世界には、Githubに push さえできない 採用希望者というものが、山程もいるらしい。Rails のコードが commit されているかと思いきや、 単に $ rails new しただけのものであったりという例は、枚挙にいとまがないとか。これは本国だけの話ではなく、米国でも本当によく起こる話だと聞いた。つまりポートフォリオだけで事態をどうにかすることなど出来ない。だがしかし、ポートフォリオをあくまで自分の真実を掘り起こすために使い、あなたの人材、性格、素直さなど、ソフト面までを含めて、何らかの他の人との違いが伝わるものとして、そういった武器として使うのならば、もしかして、明日は良いことがあるかもしれないね。コンビニで買ったフィリックスのガムで、当たりが出たりとさ。で、ところで、何の話だったかな。そう、ポートフォリオ作成というのは、真実を見出すための、良い機会である。自分というものに素直になって、要するに、丁寧な自己紹介をすれば良いだけなのだから、まあ気楽に、肩をはらずにやっていきましょう。僕を含め、就職転職活動をするあまねく全てのエンジニア、ひいては全人類、がんばれ、社会人、もうすぐ春ですね、春先に飲むスターバックス大阪茶屋町アプローズ店の抹茶のソイのティーラテ・ノンシロップオールミルクの味は、とても美味しいです。それでは、ごきげんよう、ついつい長くなりましたが、皆さんどうぞ、良い就職、転職を。

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https://github.com/YumaInaura/YumaInaura/issues/943