いなうらゆうまはここにいた 2019-03-08

なぜおでんとチーム開発は難しいのか in スクラムフェス大阪2019。

ひとつ印象的な話があった。細かいくだりは忘れてしまったが、僕はこのように解釈した。チームは円集合だ。たとえばひとつの試みを始める時、チームメンバーが四人であれば、その全員の理解と合意がなければいけない。ひとりひとりのメンバーを1個の輪だとして、4つの輪が重なる部分が必要だ。ただひとつの輪でもこの重なりから外れてはいけないと。なのでチームというものは人数が増えれば増えるほどに難しい。2つの輪の重なりを見つけるのはたやすいが、これが3つとなると、途端に難しくなる。輪が4つともなると、指数関数的に難易度は上がる。たとえばエンジニアリングが全く関係のない対話でも、3人と2人とでは全く別の話が生まれるのは、こういう理由なのだと思う。輪が2個から3個に増えた時点で、真ん中で重なり合わない、伝わらなさそうな話は削ぎ落とされてしまう。カラオケで歌われるレパートリーが、最大公約化するような話とでもいおうか。なのでチームを運営するということは本当に大変なことなのだ。チームメンバーは2枚のピザを分けて食べられる人数にしなさいという教えもある。だけどそれでも数が多すぎる。7人全員の輪が重なる部分など本当にごくわずかだろう。まず完全なものは見つからないはずだ。本当に人間同士のチーム運営としては、2枚のピザでは多すぎる。1個の鍋が限界じゃないだろうか。3人が標準地点で、4人が限界という気もする、ドラゴンクエストのパーティーの最大数だ。これを超えると馬車やルイーダの酒場に入ってもらわなければいけない。ところでスクラムフェス大阪の昼休みに関西大学MeRISEの近くのセブンイレブンに行くと、ちょうと先程聞いた話のようにおでんの丸い大根が四個、きれいに並んでいて、この円集合の話を連想したのだった。ただ、ひとつの大根だけ何だか古いようで、味が染み込んでいて、色持ちがって、頑固にほかの大根たちとの違いを示しているようだった。このようにチーム開発はパラメータや方法論をひとつ変えるだけで、何もかもが変わってしまう、本当に複雑性の高い面白い世界だと、スクラムの師匠とも話し合ったのだった。広大なる人間の世界の、ソフトウェアという複雑なものを扱う、エンジニアリングという抽象度のとても高い仕事。昔の世界の司書のように、頭に中小世界を作り出すなり。

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朝のスターバックスでエンターキーは静かに押せ。

書きたいことは毎日書き尽くしてから眠りたい。どうしても人間の思考スピードに追いつことは出来ないのだけれど。体の新陳代謝みたいに。そういうものだ。いつ終わるというわけでもない。だけど消化して排出しないと機能不全に陥る。体にものが詰まるのと同じように心にも詰まる。今日は‥インターフェイス‥じゃない‥なんだっけ‥フリースを三枚も重ね着して出かけてしまった。そうこういう取るに足らないことまで思考に遊ばせておくだけではなくて、世の中の目に見える文字のインクとて現出させたい。ただ目的もなくただしマインドフルにMacBookAirのキーボードを叩いておきたい。禅の呼吸とともに。スターバックスではマクドナルドで聞いたことのある音楽がかかっている。今日は震災応援のスターバックスカードが発売してみるみたいだ。木の机が美しいからそこに座る。この椅子でも大丈夫だということは足の調子はなかなか良いみたいだ。もう少し速くキーボードが打ちたいと思う。ピアノの速弾き選手みたいになりたいと思う。Slackの設定を変えてエンターキーの押し間違えにも怯えなくて良い。もう二度と。なかなか素晴らしい朝じゃないか。これで一緒に画像がアップロードできれば最高なのだけれど。村上春樹ら小説家みたいに全てを文章だけで語り切るストイックさはどうやら僕にはまだないみたいだ。しかしZapierの設定もとりあえず満足が行っているし今日は設定地獄にわずらわされずにこうやって朝の神々しさを感じることが出来る。その中に思考が、意味を見出そうとするけれど、本当はそこには虚無しか存在せず、ぼくはひとときのファンタージーに酔いたいだけなのだから、あえて、深く、考えない。さぁエンターキーを静かに押せ。

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#Divvy アプリで #Mac のウィンドウサイズをショートカットで最大化する。

これがなかなか良い。集中力を阻害するものがなくなる。1個のアプリケーションを使っている時、ほかのアプリケーションの窓がほんの一部でも見えると、視覚情報が認知するオブジェクト数が増え、注意力のコストが削られる。ちなみに全画面表示ではない。全画面表示は全画面表示でやっかいだ。スクリーンのウィンドウのような単位が分割されてしまう。ほかのアプリケーションも即座に開きづらくなる。なのでセミ全画面表示。自分でウィンドウの四隅を最大に伸ばした状態だ。画面一番上のメニューバーは消えないが、他のアプリケーションが見えなくて内的だ。別の記事では、Macの画面をデスクトップ背景と1個のアプリケーションだけにする注意力コントロールの方法を書いたが、セミ全画面表示でも良い。アプリケーションの種類、使い方によっても。これを手軽に実現する方法としてはMacのDivvyというアプリを使っている。ショートカット登録をすればウィンドウを最大サイズに広げることも、他のサイズにすることも一瞬だ。Webサイトからは無料期間のトライアルもできたように思う。難点としてはOSの画面枠からはみ出す位置にはウィンドウを持ってこられないこと。はみ出す位置に置いてSlackのサイドバーを隠しておきたい時とかあるんだよね。究極のZenモードを実現したいのだけれど。ショートカット一発で。ところでDivvyをインストールしたらショートカットでウィンドウサイズを切り替えてみて、目に入ってくる視覚情報や、それを認知する自分の感覚がどう切り替わるかを、ぜひ試してみてほしい。ワンツー、ワンツー、ワンツー。こんなに違うのか!ときっと驚くはずだ。目に入る情報量に対してあまり自覚的でない人も。いかにプログラマにとって視野が大事かということがご理解いただけるだろう。余談だが快適な制作環境のために有料アプリの千円程度も出したくないという人もいる。僕は快適さのためならば数万円払っても惜しくはないと思うのだけれど。幸福なプログラミングがしたいじゃないか。だって。プログラミングや他の仕事の快適さが生涯1%でもアップするとしたら、毎年ディズニーランドに行くよりもずっと幸福の総量は大きいだろう。閑話休題。ということでDivvyは良いアプリなのでぜひ試してみてほしい。とあるアジャイルサムライより。

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太陽が終わるまでブログを書きたい。

Zapierの設定でまたたくさんの時間が流れていった。今朝はすこぶると調子が良い。やはり下半身、特に膝の裏側あたりからエネルギーのきらめきが溢れてくる感じだ。思いついた物事を全て文章にして残せたら良いのに。そうしたら太陽が終わるまで、もしかしたら半永久的に、Google検索できるかもしれないし。語りたいことのノートを取ることもなかなか問題だ。思いついてノートをとる。そのたびに集中が途切れて注意残余が起こるし。本当ならば自分の脳のワーキングメモリの範囲内で、すべての戦略を回せる方が良い。リアルタイムストラテジーにはメモをとっている暇がない。自分の頭のメモリと遊ぶのはとても楽しい。やはりブログやら文章を書くというのは、そこに至るための雑事も含めて、競技なのだ。別に残された文章に価値があるわけではないが、残した文章に価値があるというファンタジーにそって物語が進めば良いのだ。80%は自分の脳や指先と遊ぶ、そしてなおかつ同時に呼吸を整え、難しい設定や雑事にも立ち向かいながら、いかにギリギリのオーバーフローを抑えて、語りたいことへ戻ってこられるかという、障害物競走だ。なおかつ文章は自分自身の心に正直である必要がある。ありとあらゆるハードル、障害物、要素があって面白い。Twitterであればオーディエンスもいる。僕がオーディエンスになったり、僕が競技者になったり、役割を交換しながらスタジアムで遊ぶ感覚だろうか。さあエンターキーを静かに押せ。日本のコメはうまいと筋肉少女帯も歌っている。僕をTwitterでフォローしてすぐ外した人が昨日そう語っていて、リプライをしようかどうかちょっと悩んだ。偶然見かけたツイートで趣味が合うなんて。そう今は本当にどうでも良い文章の蛇足を愛せるかどうかのトレーニング中でもある。そういうことにしておこう。さあエンターキーを静かに押せ。

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禅を愛するスタバファン。

今朝も大阪茶屋町スターバックスのアプローズ店に、近くの梅田芸術劇場前の、高速バス待合のおばちゃんたちが現れた。この事象についてもう何度語っていることか。語らずにはいられない。聞いてくださいよ旦那様。とにかく音のマナーが悪い。得意の大阪節でしゃべるわしゃべるわるわ。必ずいつも座るのは木のテーブル席の隅だ。いつも違うおばちゃんたち、もしくはおじちゃんたち、もしくはおじいちゃんおばあちゃんたちのはずなのに、何の心理が働いているのかは分からない。僕が気づいていないだけでもしかしたら、全員同一人物なのかもしれない。おじちゃんであれば、誰しも同じようなハイキング用の帽子をかぶっているし。ところで選ぶ席に関しては、たぶんすぐにバスの待合の時間なので、あまり長居したくないという動機が、席の決め方にも現れているのだろう。しかし自分自身にエネルギーがあるときというのは怒りのエネルギーも起こりやすくなる。何か怒りを感じた時、エネルギーがない時はその場所から逃げたり、ひたすらに呼吸を整えたりする。物理的にはなるべく刺激から逃れる。だけどエネルギーがある時はこうやってMacBookAirのばったふらいきーぼーどっを打ち鳴らして、エネルギーを発散する。発散せずにはいられない。だから僕にはボクシングジムは要らない。いつだってキーボードが僕のサンドバックだ。だけど優しく叩くけれどね。こうやってただ単に怒りのエネルギーを発散させるためだけの文章も、ほんのりと虚しさはある。自分に対する洞察、呼吸を整え、取り戻せ、軸を。ところで怒りと言ってもコントロール出来ないような火山ではなく、ほんのり低温やけどする、ストーブに近づきすぎた感覚ではある。なんにせよ怒りは体に良くない。禅の実践。風林火山の火に対処する。ところで行儀の悪いノマド、スタバで騒ぐやつマクドいけや、きっと人生の終わりには閻魔様に聞かれるだろう。なんじは、スターバックスの暗黙の掟を、やぶっただろう、地獄行きだ。問答無用。イエス・キリストよりもスターバックスのセイレーンを愛せよ。スターバックスはこの世界の究極法則だ。とここまで書いたところで僕もなかなかマナーの悪いデジタルスターバックスカスタマーではないだろうか。どうか御慈悲を。これは環境の悪いスタバであってもスタバを愛するための工夫。あなたに至るまでの道なんだよ。さあ、押せ、エンターキーを静かに。汝、禅を愛するスタバファンだろう。

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迷う時間はもったいなくない。

物事には損益分岐点んというものがある。肉体のスピードより思考のスピードの方がずっと速い。だから重大な決断の方が迷う時間が大きくて良い。たとえば日常のとるにたらない話でいえば、10km先まで歩いていくときに、迷う時間がもったいないから歩きはじめるのはとても危険だ。数時間経過してから間違いに気づいても遅い。その場合はあるき始める前にGoogleMapをよく見るなどして思考のスピードで迷った方が良い。肉体よりもずっと速く目的地まで一足先に行けるだろう。情報とはそういうものだ。ちなみに僕は方向音痴でGoogleMapの見方も下手なのでどれだけ事前に迷おうともすぐに物理的にも迷うけれど。頭に磁石を搭載したい。ところで世間では迷うなとか事前によく考えろとか主語をなくした一般論がまかりとおっているけれど、ああいった議論の99%はコンテキストを失ってしまっていると思う。目的地が100m先か10km先かの違いでも、迷ったほうが良いかどうかのパラメータは変わる。損益分岐点も変わってくる。ということで迷う時間は必ずしも惜しくない。システム開発やプログラミングでも同様だ。以上。

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ミラーボールと街コンと恋愛コンプレックス。

恋愛コンプレックスを克服した話。20歳まで恋愛をしていなかった。それからも30歳手前ぐらいまで、1人2人としか付き合ったことがなかった。その当時は自宅で出来る自営業というものをしており、恋愛そのものに対してさほどの興味はなかった。街へ出ても周囲の情報にうといので、たとえ美女が歩いていても、視線はまったく行かなかった。街に歩く人をかわいいとかきれいだと思う意識さえなかった。たぶん自分がまったく手の届かない世界なので、手が届かない悔しささえ感じなかったのだろう。どら焼きを食べたことがない人は、どら焼きをほしいとは思わない。例えがあれだが。だが30歳も手前で、長く付き合った彼女と別れた。その人との付き合いの後期には、だんだんと家から出歩くようになり、外の世界が見え始めた。それで自分と彼女と仕事だけの世界に閉じこもっているのが嫌になったのだろう。あとあと彼女とも話してわかったのだが、その頃、彼女はやけにゲームショップでモンスターハンターWii版ソフトを買うのを勧めてきた。僕はモンハンに1000時間程度は費やしたかもしれない。それも、彼女が僕を狭い世界におしとどめるための方策だったかもしれない。本人が語っていたのでたぶん確かだ。7年ほども付き合うと別れは辛い。だがそれからというもの、恋愛の世界に目覚めて、とにかく努力を重ねた。高校生時代からほとんど人と話さない生活を送り、圧倒的コミュ力にハンディキャップを背負ったまま、30歳近くなってからの追い返しは、ものすごく大変だった。最初は恋愛の世界を本当に甘く見ていた。現実世界の100万倍ぐらい、赤子の手をひねるようにうまくいくと思っていた。いわゆる萌えアニメ的なご都合主義の恋愛観だったかもしれない。いちど男女が出逢えば1時間程度でベッド・インまで行くかのような。妄想。だけど男はほぼ、誰しも、恋愛慣れしていない時代にはこんな妄想を抱くものだと思う。ただそれを大人になっても引きずるというのが痛いのだけれど。だけどどうにか脱出出来た。具体的な方法としてはmixiのオフ会に行ったり、そこから広がった人間関係で飲み会、合コンに誘われたり、高いお金を払って街コンに参加する日々だった。今思うと途方もない時間とお金を費やしていたように思う。それぐらい恋愛における勝利は人生必須の課題だった。どうにも苦しくてこのコンプレックスを克服したかった。自分自身のアイデンティティ、命の全てがかかっているという感覚だった。特定の新しい彼女ができても、街を歩いては、あの人は僕の彼女より可愛い、あの人よりはましだと、数秒ごとに頭の中をぐるぐる廻るような状態だった。ゲスの極み乙女のミラーボールという曲を聴きながら、平日の夜、婚活パーティー的な街コンの帰り道、酔いどれで歩いていると、どうにも胸が締め付けられるような切ない感じがした。そして今ではいわゆる遊びきった感覚が訪れたのか、そのあとにひとりの彼女との婚約を決めた。本当にもう二度と、あのモチベーションはかえってこないと思う。焼け付くような感覚。欲望と羨望でやけどしそうな日々だった。ナンパを実践している友達も何人か出来た。僕には無理だったけれど。今では連絡をとることもない。彼らは今どうしているんだろう。まだ道であった女の子に数秒で話しかけては、連絡先をゲットしたり、LINEの返信がなくて苛立っていたりするんだろうか。僕は結婚して一足先にフェードアウトしたけれど、恋愛にドハマリしていた当時は、その欲望の世界から絶対に足を洗いたくなかった。生涯、天涯孤独みたいに、どれだけの数、恋愛の勝利を収められるかということばかり考えていた。今では猫のようにおとなしい。恋愛の欲望を全て使い果たしてしまったようだ。ちなみにこれだけ語っても、まだ全貌の100分の1も勝たれていないとは思う。懐かしい日々。でも恋愛コンプレックスが克服できたのは本当に良かったと、身勝手にも思っている。消極的に結婚相手を選ぶのではなく、吟味した上で選んだところも自己満足している。たとえそれが結果的に同じ選択になったとしても。100から1を選ぶのと、1から1を選ぶのとではまるで違う。ミラーボールは回る。回っていた。

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墓碑銘は海老フライ。

相変わらず果てしなく眠い。眠いと何もかもがどうでも良くなってくる。命の価値もなくなる。ただただ眠りの世界に身を委ねたい。あんなにたくさん語りたかったことがぜんぶ消え失せている。1%の輝きも取り戻すことが出来ない。禅はコントロールを失っている。じゃあ眠れば良いじゃないか。そうだ。だけど眠れないときもある。昼だろうと夕方だろうと眠くなる。やはり禅の実践だ。生きる意味がない場所に生ける墓碑銘を打ち立てる。墓碑銘はエピタフ。墓碑銘はエピグラフ。墓碑銘はエビフライ。ひな祭りはアジフライ。アジフライはサクサクしている。店によっては。できたてと謳われているのに3時間前に出来たパン。焼き立てだというアピールしかできない昔ながらのパン屋。相場を知らずに買った5万円のPRADAのだてメガネ。やつはメルカリに売り払った。歴代の彼女たちの走馬灯もうまく変わらず、僕はまだ死ぬのではないと思って安心する。生きる意味はなんなのか。それはSlackとZapierを連携させることだ。エンターキーの設定を変えておいてよかった。これをしなければ今頃命はなかっただろう。だけどMacBookよりも僕のほうが早く死ぬかもしれない。やつは鉄で出来ているし寿命は長そうだ。大きなのっぽの古時計。おじいさんのMacBookAir。おじいさんはとてもまっくぶっくえあが好きな人でした。時代は2018年のまま止まったきりでした。そしてそのとき古びたSpaceGrayのMacBookAirは怪しいきらめきを放ち、おじいさんの大好きだったスターバックスを彷彿とさせる、映写機になるのだ。2019年宇宙の旅。アポロ計画は実行されましたでしょうか。Ground Control to Major Tom. 墓碑銘は何にする。エビフライのエピグラフ

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「死ぬのが怖い」とはどういうことか by 前野隆司。

とてつもなく眠い。やはり死の問題が大きい。前野隆司は言った。人間は死を恐怖できる能力を偶然に獲得してしまっただけだと。そもそも僕らが体験したことのない現象を怖がるのだから、これが合理的な恐怖であるはずがない。すべてがファンタジーだ。なので厳密に言えば死のファンタジーを恐怖してしまうファンタジーに恐怖しているとでも言おうか。仮眠や夜の睡眠のたびにこれは起こる。そして35歳。人生の折返し地点。いくら死を思おうと恐怖しようとも時間は止まらない。何かが矛盾しているような気がする。死ぬことについて考えたとき時間は止まるべきだと思う。むしろ逆行すべきというか。この生命が終わるなんてことが信じられない。全てがファンタジーだとしても。せめてプログラミングやらエンジニアリングとやら呼ばれる遊びをして、この生命を騙し続ける。生きるというファンタジーの上ですごろくを楽しむ。盗んだバイクで走り出したことはない。窓ガラスは偶然割ってしまったことがある。そんなことを考えていると脳が自我から解き放たれる瞬間が数秒間だけやってくる。死の問題を考えている時は頭がPPCに満ちあふれている。体の中でうごめている何らかのスイッチ。スイッチの存在を忘れさせてしまう種類のスイッチ。とてもメタ的な切り替えバー。まだまだ禅が足りない。今日の昼は少しだけ遠くのスターバックスまできた。音楽は鳴り響き僕はいつものように耳栓をしている。あたたかい海の中でずっと過ごすようにしたい。僕がやがて死ぬのが思い過ごしだなんて誰にも言えない。僕らがやがて消えることが錯覚なんてことは誰にも言えないだろう。人生は泡沫の夢だ。せめて最後に海老フライが食べたい。いやスターバックスの抹茶のティーラテが飲みたい。2101年までスターバックスは存在していることが出来るのだろうか。

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コードレビューは眠らせよ 〜難しいレビューのコツ〜 [#レビュー] 。

どんなキーワードでググっても何もヒットしない。努力して探した。だけどダメだった。それなら自分で語るしかない。やはりたとえは海だ。浅瀬から浸かってだんだんと深部へと潜る。脳を遊ばせる準備体操が必要だ。難しいレビューに行き当たるとまず最初に混乱状態が起こる。自分の予想よりもはるかに鈍重で遅い理解しか起こらない。しばらくはまるで呆けたようにGithubの画面を見つめる。自分の頭が悪いような気がしてくる。実際に物事の理解は遅いのだろう。それにしてもひどい出来だ。今まで積み上げてきたプロジェクト理解とは何だったのか。プログラマの歴史とはなんだったのか。そう時間資産やエネルギー資産の見積もりと同じく、全て人間の見積もりは外れるように出来ている。つまりレビューにおける理解に対しても見積もりが甘い。そして理解の進み具合は直線的には起こらない。これは僕自身の実感だが。15分程度まるで理解できない時間が続く。この現象は今までに何度も起こっているが出くわすと再び驚きを感じる。しばし目を閉じて理解を遊ばせたりする。そういえば今はずいぶんと眠気を感じているような気もする。理解というものはとても注意力を必要とされる。眠い頭で何百万回アタックしても壁には傷もつけられない。威力が必要だ。強大な威力が。僕は脳を遊ばせながら目を閉じてそのまま暗闇の仮眠へと導かれる。そしてしばらくすると眠気が晴れたせいなのか着想を遊ばせたせいなのかもしくはその両方なのか。軽い軽い天啓として答えが浮かび上がり、レビューの理解にブレイクスルーが起こるのだ。レビューは時間ではない。だが時間をかけてオーブンのチキンを暖めることだ。もちろんGithubを眺めるだけでなくエディタにコードを移動させたり、人に質問するなどして手段は尽くすが良い。しかし己自信で立ち向かう時には熟成も必要だ。じっくりことことと、コードを眺めながら鍋を煮る。あとは勝手に脳が思考してくれる。自分で考える必要はない。頭が勝手に考えを巡らせてくれるからだ。つまり言いたいことは三つある。海を泳ぐがごとく進め。脳を遊ばせよ。コードレビューはよく眠れ。アジャイルエンジニアからは以上だ。

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#zapier の #UI

は注意力泥棒の罪を負わぬ。Zapierのインターフェイスは認知ロードを起こさないように慎重に作られている。感心している。たとえばZapという単位を削除するのだって他のサイトのように醜いポップアップはでない。あの悪魔の認知ロードから僕らは逃れることが出来る。UI設計はかくあるべしと思う。人間の視野に極限に優しくあるべきだ。それがどれぐらい難しいことなのかは分からないけれど、とにかくポップアップが邪悪だということだけは覚えておいてほしい。お金を盗んだら詐欺師と呼ばれる。恋愛で人を騙したら結婚詐欺師と呼ばれる。ルールに則った株式分割だって大問題になる。だけど僕らの注意力に対する殺人は誰も咎めない。僕らの認識が遅れており、資産を奪われていることに自覚的でないからだ。いちどZapierを使ってみてほしい。まったく視点移動することなくZapたちを一斉に削除することができるのに気付くだろう。チェックボックス形式でもない。チェックボックスもあれはあれで注意力を使う。そうではなく単純にクリックを繰り返すだけで1個ずつの削除やアンドゥさえ出来るのだ。ここでは一例を出したが他にもWebのインターフェイスは相当に慎重に工夫して作られているのが分かる。そもそもが巨大で複雑なシステムだろうに、注意力泥棒にならないためのインターフェイス作成にまでここまで注意をはらうこと。そのためにどれだけのコストを掛けたのだろかと思うと頭が下がる。魂を奪わないでいてくれてありがとう。親愛なるZapier。 image

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「仕事した感」を殺し「生産性」の刀を挿せ ― とあるジャイルエンジニアより。

仕事している感覚という悪魔の誘惑。生産性が落ちている時こそ仕事している感覚を得やすい。まったくの逆説だ。慎重になれ。大きな虎の口が開いている。いちどつかまると逃げられない。何故このロジックが起きるか。抵抗力だ。大きな抵抗に逆らうには力が必要だ。たとえば睡眠圧に逆らいながら目をひんむくことは摩擦係数が高い。君はニュートンという男を知っているか。林檎をかじりすぎて怒られた男だ。ダァーッ!この地球には重力というものが働いており、僕らはそれに抵抗するように立っている。分かるか。摩擦係数だ。真実を理解しなければいけない。言葉で言うのは簡単だ。なぜなら音声は摩擦係数の影響をほとんど受けない。だがそれではだめだ。この悪魔の誘惑である、仕事してる感、をどうにか真実の肉体感覚で打ち払わなければいけない。答えはこうだ。摩擦係数があり、重力がある。君が摩擦を感じていると、君はそれに抵抗する。そして生まれる。働いた感じ。仕事をした感じが生じるだろう。仕事した感というキーワードはどうにも言葉が悪い。なにか別の名前をつけるのも良いだろう。空ワーク。空仕事。錯覚仕事。なにか良い答えが分かったら教えてほしい。摩擦係数は体力低下によって起こる。集中力の低下によっても起こる。集中力が低ければ低いほど摩擦係数は高くなる。ガソリン切れの車でNYまで旅をしたらそれはそれは摩擦係数が高く、仕事をした感覚が持てることだろうよ。いいか覚えておけ。摩擦係数。そして重力だ。君に必要なのは摩擦を全身感じる努力ではなく、摩擦係数を下げる仮眠だ。もしくは休息、健全なる食事、日頃よりの睡眠、太陽、歩行、その他、親しい仲間との雑談、遠い景色を見ることなど、自然的にありとあらゆる全てだ。決して歯を食いしばるな。武士は食わねど高楊枝で歯ぎしりなどしないもの。俺が言いたいことはそれだけだ。じゃあな。

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君はベロシティという刀を見たことがあるか。

アジャイル開発にはベロシティという指標がある。チームやプロジェクトの生産力を計測できる秤だ。このベロシティを上げるということに、エンジニア人生ではじめて少しだけ情熱を感じられるかもしれない。なんとも怠惰で申し訳ない。そんなアジャイルサムライですけれども。なにか文句でも。切腹しましょうか。このベロシティが上がったり、少なくとも維持できていたりすると、自分たちが仕事を果たせているという感覚、上向きに伸びていっているという感覚がある。これはそこはかとなく愉快なものである。仕事を果たすからこそ自由もある。これもまたとても愉快なことである。仕事の楽しみとはここにある。ライフワークバランスも良いが、ライフに振り切ってクビになるようではエンジニアは失格だし、侍はセップクだ。35歳にして会社生活3年半。もともと自営業時代、恐ろしいほどの自由を満喫していた自分なので、まだよちよち歩きだという感覚はある。もともと我チームではこのベロシティという指標をあまり強い印としては使っていなかった。だが今、改めてこだわりを見せ始めている。闇の中を進むアジャイル道の中で、一閃の灯火になるはずなのだ。指標というものはなかなかに大事なものだ。君はベロシティを愛せているだろうか。ベロシティの赤ん坊であるところの、とあるアジャイルエンジニアより。

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俺は眠るためにスターバックスに来たはずだ。

今日三度目のスターバックス。節約生活の志はどこに行ったのだろう。まあ良い。いざとなってから慌てることにしよう。俺は眠るために夜のスターバックスへ来たはずだ。なぜMacBookでキーボードを叩いているのだろう。眠気の破壊の中での禅の実践だ。また文章が拡散していく。画面のインクのしみが増えるたびに蓄財かのような錯覚を覚える。わずらわしい虫たちだ。ゼロになれ。ベルボトムジーンズはどこにある。何、侍が奪って行っただと。奪い返せ。夜はデジタル戦国時代。たくさんのりんごが必要だ。ほらごらん。頭の中で回っているテキストと、お前の声、混じり合って何が何だかもう分からないだろう。何故お前はまだ眠らないのか。なぜお前はスターバックスという概念に囚われているのか。お前の表皮にはどんな眠りの細菌が這いつくばっているのか。答えろ。日本のコメはうまい。コメを食わせろ、コメを。一日一回切腹をしよう。まるで朝飯前の接吻のように。待て。まだ早い。文章行為はめまいがするようなセックスだ。セックスはインクの染みになるだろう。モーテルは海辺にあるホテルという意味だ。広辞苑を枕にすると冷奴がやってくるぞ。かけろ。醤油。わさび。韓国のり。あとは同じような文章がダラダラと無限ループで100万回繰り返す世界。

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https://github.com/YumaInaura/YumaInaura/issues/675