Twitterマンネリ化? 1周ぐるっと回って、同じことをつぶやき始めた感じがする。ストレスと問題意識がエネルギー源だったから、平坦な道は僕は好きじゃないかもしれない。また新しい旅に出るのだろうか。1つのステージをクリアしたら、次の世界にジャンプしたくなるよね。

Twitterマンネリ化? 1周ぐるっと回って、同じことをつぶやき始めた感じがする。ストレスと問題意識がエネルギー源だったから、平坦な道は僕は好きじゃないかもしれない。また新しい旅に出るのだろうか。1つのステージをクリアしたら、次の世界にジャンプしたくなるよね。

Twitterを本格的に始めてからも1ヵ月が過ぎた。だんだんとTwitterから、読書やマインドフルネスに興味が戻ってきた感じもする。一通りの楽しみ方を覚えたとは言えないかもしれないけれど、ぐるっと1周した感じはある。

Twitterに関する問題意識は最初の頃よりは薄れてしまった。これは当たり前だ。最初は森の中に入るみたいに、手探りで何も分からない状態から始めるのだから。そこであがいて、問題意識をどうにか解決しようとする。

毎日新しい問題が生まれて、生態系が構築されて、また破壊されて、また構築して送り返す。だけど一旦一通りの問題解決がされてしまうと、後は割と平坦な道が続いている感じだ。

ここで問題になるのは、いざフラットな道が見えたかと思いきや、凹凸をどうにか解消したいと言うエネルギーで動いていた人間は、エネルギーを失ってしまうかもしれない。特に僕は、大いなるストレスを感じてそれを解消するのが自分のエネルギーになっているみたいだから。

むしろ新しい凹凸どうにかして見つけようとしているかもしれない。どうか僕をストレス爆発のイライラの、ギリギリのやつで、追い込んでほしいと今では思ったり。

こういう感覚は人生で何度か起こるな。つい最近まであんなに問題解決に夢中になっていたのに、もう何が問題だったのかさえ思い出せなくなってしまうこと。

話は違うけれど、給食をあんなに楽しみにしていたのに、いざ学校の給食を食べ終わってしまうと、何が楽しみだったのか全く分からなくなってしまうこと。子供の頃にこんな不思議をよく感じていた。

これも心理学的に名前がついていそうなものだけれど。何か名前を聞いたことあるような気もするが。

iPhone音声入力にも慣れて。Twitterのリプライや引用リツイートの違いも、だんだんとわかってきて、絵文字だってつけられるし、Twitterのツイートをもとにブログだって書ける。MacBookなどのデバイスも、完璧とは言えないまでも、整えられてはいる。

Twitterのツイートをブログにしたら、羽ずったり。プチ炎上したり。それでもマインドフルネスやらの技術で、落ち込まずにいられたり。そんな新しい発見や体験をしつつ、そう、だんだんとマンネリを感じ始めてくる時期と言うのはあるな。

1つのツイートをするにしても、新しく試行錯誤して、考えて答えを導き出すのではなくて、前にいちど答えを出していることのリプレイというか、リメイクというか、1周ぐるっと回って、同じことをつぶやいている感覚があったり。

そう、このようにダラダラと長く語り続けたけれど、いってみれば世間一般で言うマンネリと言う4文字に表現できることかもしれない。たまにこういうこともある。自分がたくさん考えて問題の本質を見つけたら、それが世の中には短いセンテンスで、まとめられた最強のことわざがあったり。

だけど一旦くねくねと道をたどって、最終的にことわざや、フレーズにたどり着くと言うのは、くねくねと道を曲がった分だけ、自分自身の圧縮のがあって、自分自身のオリジナルフレーズも見つけられたりするし、なかなか有用な回り道かもしれないな。

いつもながらにして何が言いたいかはわからなくなってきた。Twitterでの問題解決意識、1周ぐるっと回ってマンネリ。何か新しい楽しみを見つけたいけれど、あの頃のようなストレス抵抗が、レジスタンスのような、熱情はもう戻らないだろう。

Twitterマンネリ化? 1周ぐるっと回って、同じことをつぶやき始めた感じがする。ストレスと問題意識がエネルギー源だったから、平坦な道は僕は好きじゃないかもしれない。また新しい旅に出るのだろうか。1つのステージをクリアしたら、次の世界にジャンプしたくなるよね。 https://t.co/LFBntzXxDO

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https://github.com/YumaInaura/YumaInaura/issues/503