音楽と愛について 〜布袋寅泰の SUPER SONIG GENERATION を聴きながら〜
もう20年も前に発売されたアルバムだ。
再生機器が変わったせいだろうか。耳が肥えたせいだろうか。
昔に聴いた時よりも、音の粒がより鮮明に聴こえる。
2017年8月26日。
まさに今日、この瞬間に、このアルバムを聴いている人間は、世界中でたぶん自分一人だろうな、なんて考えながら、1曲目から最後の曲までを再生する。
音楽が愛されるということは、こういうことなんじゃないだろうか。
今、流行っているわけではない。
決してメジャーなわけでもない音楽を、楽しんで、味わう。
その音楽と一緒に、1日の時間のうち、何十分かを過ごす。
こういった体験は、布袋寅泰本人には、まず伝わりようもない。
こうやってブログに書かれる例でさえも、あくまで稀な例だ。
世界中で、絶えず音楽というものは聴かれ続けているけれど、そのほとんどの「体験」は、文章化にされたりせず、形は残されない。
ただ僕らの人生の中を、クオリアのようなものとして通り過ぎていく。
ファンレターが送られたり、Amazonのレビューに書き込まれたりするものは、ほんのごく一部だ。
つまり音楽を聴くという体験の99%以上は、形としては残らない。
逆に言うと、このように秘密裏におこなわれる「体験」は、あわせれば膨大な数にのぼるし、
たとえば他の人には見つからなくても、世界の片隅で、音楽が愛される時間は存在することになる。
音楽を愛するということは。