朝は著者、夜は読者 (頭が悪そうな文章を推敲する是非)
朝ブログに書いた文章を、夜見返すと、とても残念な気持ちになることがある。
- 文章全体の構成がおかしい
- 文節の構成がおかしい
- 言葉の選択がおかしい
- 句読点の付け方がおかしい
- 余計な表現が多い(カッコや倒置法など)
- 言いたかったことが全然伝えられていない
- 話が横道にそれすぎて、結論が分からない(書いている時は、横道にそれるのをウィットの証だと感じていたりする)
- 二個の記事に分ければ良い話を、一個の記事にまとめてしまっている
- チグハグに付け足しをした文章が、統一感を残っている
ということに気付く。
- 「何言ってるんだこいつ」
- 「頭悪そうだな」
と自分で思ったりする。
朝は著者、夜は読者
なぜこういう現象が起こるのか。
- 朝は集中力が高いが、夜は低い。なので朝にはよく分かった文章も、夜にはよく分からなくなる。
- この理由は疑わしい。
- そもそも、根本的に書いた文章が練られていない。
- たぶんこれが大きな理由だろう。
- 朝や夜は関係なく、単に時間が経ったことで、冷静に文章を読めるようになる。
- はてなブログのプレビュー機能がつらい。
- これも20%ぐらいは関係している気がする。
- Mediumや、せめてQiitaぐらいには使いやすい、ライブなプレビュー機能があれば良いのに。
少なくとも、朝と夜では自分は別人になっているということが言える。
遂行したはずが…
ちなみに、朝忙しい時にブログを書く場合でも、さらっと文章全体を推敲はしているのだ。
遂行している最中は「こいつぁいい推敲だ」と思い込んでいるのだが、あとで読み返すと、それでも残念な感じが見えたりする。
「遂行したのに、この程度か!」と思うと、さらに残念さが増す。
なので「この文章、頭悪いな」と自分で感じた時は、恥ずかしくて、すぐに編集ボタンを押してしまう。
ジレンマ
だが「頭の悪そうな文章を書き直す」という行為は、諸刃の剣だ。
なぜならブログの文章を書く時には、テンポがものすごく重要だ。
- 「これは良い文章構成だろうか?」
- 「人に伝わりやすい表現になっているだろうか?」
- 「後から読み直して、馬鹿に見えるような文章ではないだろうか?」
と考えてばかりでは、そもそもブログを書くことは全然楽しくなくなってしまう。
ブログを書く動機
なぜなら僕の場合、
- 人に伝えるためにブログを書いているわけではない。
- 文章の練習をしているわけでもない。
- 単にMacBookAirで軽快にキーボードを叩き、文章を打ち込むという「体験」のためにブログを書いている。
- 完全に自己満足のためにブログを書いている。これだけは絶対に譲れない。(誰に譲ってくれとも言われないが)
問題 - 推敲にはコストがかかる
文章の推敲にはものすごいコストがかかる。ちゃんとやろうとすればするほど。
特に「何も書かず、立ち止まってしまっている時」には、コストが増大する。
文章を打ち込みながら、迷う瞬間が1秒でもあれば、そこで心は消耗する。 迷う時間は1秒よりも0.5秒、0.5秒よりも0.1秒のほうが良い。
理想としては、僕自身の頭は何も考えず、自動的に手が動いてゆくぐらいの感覚が良いのだ。(むしろその感覚が好きでブログを書いているぐらいだ)
問題 - 推敲した差分が見られない
推敲にはもうひとつの問題がある。
推敲前の文章と、推敲後の文章の差分が分からないということだ。
つまり、頭の悪そうな文章を修正しても、どれぐらい賢そうに変わったのか、その差分が分からない。
はてなブログに朗報?
そんなことを考えている時。
だがしかし。
なんか違うんだよな。文章の差分が見られるわけではないらしい。
あくまでこれは「間違ってしまった時のリカバリー機能」であって「差分の追跡機能」ではないっぽい。
問題 - 推敲すると、新しいことを書く時間がなくなる
頭が良さそうな文章を考え、楽しめもせず、古い記事に時間を使っている間に、新しいことを書く時間は着実に失われていくのだ。
あまりにももったいない気がする。
まとめ
- 頭が悪そうな文章を書くと、自分で自分の文章が嫌になる。
- 頭が悪そうな文章を直そうとすると、ブログを書くのが嫌になる。
- 頭が悪く見えてもいいじゃん。どうせブログは自分ではないんだし。
- ブログは自分本体ではなくて、あくまで自分の書いた文章だと理解している。
- 推敲も楽しめるようになったら一石二鳥だ。
- はてなブログの履歴機能では、差分を探すのは大変そうだ。
ところでこの記事を書いていても、かなり横道にそれてしまった気もする。
推敲する?
YES / NO