人間なの?人工知能なの? AIの作詞、アイドル「仮面女子」が歌う
こんなニュースがあった。
「このタイトル、人工知能っぽく見えるけど、アーティストのAIのことだよな」って記事を開いたら、ほんとに人工知能のことだった。
今後「AIが作詞」とニュース書かれた時、元から存在するアーティストのAIはどう対応すれば良いのだろう。
どんな表現なら区別できるのだろうか。考えてみよう。
人工知能が生まれ。 もうAIは。
ひとりじゃないから。
ニュース帯の案
「AIが歌詞を提供」
「作詞」ではなくて「提供」と書くと、人間がやったことなのだと推察できる。
だが今後の未来、人工知能が作詞をするばかりか、プロデュースなども手がけ「提供」をするようになるかもしれない。 「私の歌詞? 使っていいわよ」とかいう人間的判断さえするようになるかもしれない。
ボツ。
「AI(人間)が作詞」
人間って言わなきゃ人間と分からない。 カッコの中に人間ってつけるような時代は、AI主体。もはやAIに乗っ取られた時代だ。
ボツ。
「アーティストのAIさんが歌詞を提供」
「アーティストの人工知能さんが」という意味にも取れる。あとニュースのタイトルとしては長すぎる。
ボツ。
他の対策
人間のAIが、作詞を人工知能のAIに任せるようにする
これでニュース帯での使い分けが必要なくなる。全てのライターが安堵する。
だが人間のAIは、作られた歌詞を「あー、そこ違う!」と添削して、結局は人間のAIが全部作詞することになる。たぶん2027年ぐらいまでは。
アーティストのAIが、全ての人工知能を世界から葬り去る
そして遂にAIが人工知能を世界から葬ったその時。 「私は自分をAIだと思っていたけど、実は自分をAIだと思いこんでいたAIだったんだ」という世界が実現する。
- fin -
食事ハック
3つの目的
- パフォーマンスを発揮すること、優れたコンディションを実現すること
- 健康状態を保つこと、栄養(タンパク質と野菜)を十分に摂取すること
- 体型を保つこと、太らないこと
この三つをすべて満たしたい。 と思って、組み合わせを試行錯誤している。
パターン1 - 高カロリー + パフォーマンス重視
- 朝 鍋 + バターコーヒー 1000kcal
- 昼 ナッツ 500kcal
- 夜 鍋 500kcal
栄養は取れて、パフォーマンスも高くなるが、太る。
パターン2 - 栄養重視
- 朝 鍋 500kcal
- 昼 ナッツ 500kcal
- 夜 鍋 500kcal
栄養はとれるが、朝に鍋を食べると眠くなる。 それに、朝はバターなどで脂肪をたくさん摂った方が、パフォーマンスが高くなる気がする。
パターン3 低カロリー + 体型重視
- 朝 鍋 500kcal
- 昼 なし
- 夜 鍋 500kcal
栄養も取れて体型も保てるが、昼食を抜くとパフォーマンスが落ちる。
パターン4 バランス型
- 朝 バターコーヒー 500kcal
- 昼 ナッツ 500kcal
- 夜 鍋 500kcal
昼のナッツと、夜の鍋で、タンパク質と栄養はぎりぎりカバーできると考える。
夜に鍋を食べると、すぐ眠くなってしまうが、そこはトレードオフと考える。
朝と夜のどちらかには、栄養があるものを食べる必要はあるので、どちらか選ぶなら夜が良いかな、といった感じ。(まだ決め兼ねている)
その他
- 食事の満足感も大事。
雑感
- 食事はパズル。
ローリング・ストーンズを聴く時に「73歳のおじいちゃんなのに」とか言わない
ローリング・ストーンズが話題になるたびに、 「還暦過ぎてるのにすごい」とかいう話が必ず出る。(もう73歳だっけ?)
年齢は年齢で話題性がある。 だけど、なんかこの話を毎回するのって、たとえば、
- 7歳の天才ドラマー (子ども「なのに」すごい)
- 女性科学者 (女「なのに」すごい)
とかいうのと似たような感じがする。
年齢を褒めてる間に、音楽自体を褒める紙幅というか、たしなむ注意力が逸れてしまってるんじゃないだろうか。
たとえ彼らが何歳でも、BLUE & LONSOME は楽しむことが出来るはずだ。
人の見た太陽よりも、自分の見る太陽は100倍まぶしい
当たり前だが、自分が体験したものだから。
僕自身は、Facebookやブログに太陽の写真がアップロードされていても、何も思わない。 意識は0.1秒で通り過ぎる。何百ピクセルかの枠に収められた、ただの視覚情報だ。
だが、自分がきれいな太陽を見つけると、つい写真に取りたくなる。
- 目覚めて、カーテンを開けた瞬間、想像以上の光が挿し込んでくる(探したわけではないのに)
- 部屋の他の場所が見えなくなるぐらい、光が視界を占領する
- 肌にまで届く暖かさ、少し焼けるような感覚
- 太陽の光のある部屋で、歯を磨き、水を飲み、ブログを書く経験
こういった経験のうち、たぶん1%も、写真1枚には収められない。 ものすごく当たり前の話だが「写真」と「体験」の間には、ものすごいギャップがあるのだと、改めて思った。
ちなみに「こんな朝陽を見つけられた俺、いいだろ」と動機なわけではなくて、 「こんなに綺麗なものを見つけたのに、全く記録しておかないのはもったいない」という感覚だ。
たとえそれが、他の人から見れば取るに足らない太陽でも、毎日まるで同じような景色であったとしても。 僕にとっては「別々の体験」であり「神々しい体験」の記録なのだ。
写真1枚で経験をシェアできる、経験まで保存できるというのは全くの錯覚なのだが、僕は決して写真を否定しているわけではない。
むしろ、人よりもよく写真を撮る。 心が動くものがあると、なんでも写真に収めようとするタイプだ。
写真は、
- 同じような体験をしたことがある人には伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
- 地域や人間関係が近い人には伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
- 想像力のある人には伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
- 文章と一緒に、コンテキストをうまく伝われば、伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
- 写真を後から見返して、自分で体験を思い返すことが出来る (これはけっこう重要かもしれない)
というなかなか粋なものだ。
ちなみにブログにアップすると、スマホの小さい画面よりも、大きな解像度で見られるところも良い。 写真1枚だけでは物足りないので、必然的に何かテキストを書くことになるし、その時考えていたことをテキストとして残せるところも良い。
という、とりとめもない話。
iPad の絵描きで脳の使い方が変わりそうな話
memopad というアプリで、よく絵を描くようになった。
変化1. 物事の理解がしやすくなった
「この物事を絵にするなら、どんな形になるだろう?」と、よく考えるようになった。 文章をいくら並べても理解しづらい事柄が、理解しやすくなった。
変化2. 考え方がシンプルになった
物事を適切な絵にするためには、シンプルな形に落とし込まなければいけない。 なので必然的に、結論もシンプルな形に落ち着くことが多くなった。
変化3. 考え方の習慣が変わった
お絵かきをしていない時にも、自然に絵的な考え方が浮かぶようになった。
僕はもともと文章が好きなので、今までは特に「文章的・平面的な考え方」をしてきた気がするのだけど、また新しいカードが増えたような感じがする。
結論
アプリは習慣を変える。(時には脳の使い方も)
漫画みたいなチーズがいちど食べてみたかった
あの、ポコポコと丸い穴が開いてる奴。
でもあれって美味そうなイメージだけで、絶対想像とは違うよって思ってた。 店で見かけてもスルーしてた。
だけど、ついに意を決して買ってみた。
これ、すごく安い。 と言ってもグラム300円はするんだけど。
こんなブロックみたいなの絶対美味しくないよ。
と思って一口かじってみたら。。。これが美味かった!!!
今までに味わったことのない味と食感だ。 いや、でかいのを一気にかじるから風味が違うのだろうか。
裏側のラベルを見てみたら、フランス産らしい。さすが海外のチーズは違う。 海外ではこんな美味いチーズやら、バターを毎日食べてるんだろうか。
またひとつ夢が叶った。
BLA diner ヨドバシ梅田店で「黒毛和牛”超粗挽き”ハンバーグ& ブラックアンガス塊ハラミステーキ」を食べてきた
夕方時に遅いランチをするというのは、至難の業だ。
ある店では「ランチタイムは終わりましたよ」と門前払いを食らわされ。 (土曜はオールタイムで開いていて、グランドメニューが頼めそうな表示だったのに)
遂に見つけたある店では、15:30ラストオーダーと書いてあるにも関わらず、ラストオーダーは14:30に早まったと口頭で言われ。
大阪梅田をさまようこと1時間。 ヨドバシカメラ梅田店のレストラン階に、ダメ元で来てみたが、なんとここが夕方でも空いている。
そうか、買い物客の需要は1日中あるから、飲食店もずっと空いてるのかもしれない。
まずは塩でしょ。
ふりかける。
こしょうも。
こしょうは塩とは逆の向きで、挽くのだった。 (店員さんに教えてもらって少し恥ずかしかった)
ハンバーグ。ほろほろとしてる。
ステーキ。しっかりとしてる。
サラダバーも付けた。
お会計は2000円だった。 店を出ると、夕日だった。