海外のブックデザインが日本よりダサい理由が分からない

こんな記事があったが、書籍のカバーは海外より日本の方がデザインが優れている気がする。

www.ogura.blog

( 日本の映画ポスターがダサい理由は映画代が高いから - 小倉さんは考えた )

海外版のブックカバーを見ると「えっ、なんでこのデザイン?」って思うことが多い。

海外ではあまりデザインにお金をかけてないんだろうか。

なんでなんだろう。

ハリーポッターと賢者の石

日本版

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オリジナル

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あなたの知らない脳

日本版

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オリジナル

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GO WILD

日本版

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オリジナル

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誰かを思い浮かべながらブログを書く

僕はブログを書いている。

これはもう3ヶ月ぐらいはまっている趣味なんだけど、 こまめに続けていると、いろいろな発見がある。

今日思ったのは、こんなこと。

妹を思い浮かべながら書く

今日僕は、妹のことを思い浮かべながら、ブログを書いてみた。
「もし妹に伝えるなら、どんな表現をするだろう」ってイメージしながら。

そうすると、内容はけっこう、いつもとは変わったものになることが分かった。

選ぶ文章も違うし、説明の仕方も違ってくる。

「こんな言い方じゃ、伝わらないな」とか。
「そもそも説明が抜けているよな」
ということが頭に浮かぶようになった。

今まで「自分の文章は分りやすい」と思っていたのは、ただの思いこみだっただな、って気付いたんだ。

「自分に分りやすい」と「人に分りやすい」の違い

人間というのはつい、自分に分りやすい言い方で、人に話をしてしまうものだと思う。
それが初期設定になっているんだ。

それで自分で「この伝え方は、人にも分りやすいだろう」って思い込んでいるんだけど。

何が分りやすい伝え方かっていうのは、伝える相手によって変わってくるものなんだよね。

言ってみれば、当たり前の話だけど。

ええっと

ブログを書いていると、すぐ混乱してしまうんだけど、 何が言いたかったかっていうと、これは別に「人に分りやすい伝え方をしよう」っていう話じゃなくて。

誰に伝えるかによって、伝え方って全く変わってくるんだなって。

たとえば料理の味付けでも、色々なバリエーションがあるみたいに、人への伝え方も、色んな味付けが出来る。
そういう発見をしたよっていう話なんだ。

まあ、雑談だよね。

脳の体操

あと気付いたのは、これはけっこう、頭を使うから、面白い。
自分がいつも使っている言葉とか、説明の癖を、いったんリセットする必要があるから。

普段使っていない脳を使ってる感じがした。

ところで

たとえば音楽の作曲でも、 誰でもない誰かに向けて曲を書くよりも、誰かひとりの人を思い浮かべながら書くほうが、ずっと人に伝わる曲になるらしい。

作曲家の中には、人生でずっと、すべての作品で、たったひとりの人を思い浮かべながら曲を書いた人もいるっていうぐらい。

たとえば「涙そうそう」は、たったひとりのお兄さんを思い浮かべて書かれた曲らしいしね。

僕は長期志向でゲームをする

「ゲームの遊び方には人の性格が現れる」というのは僕の持論だ。

投資志向のプレイ

自分のゲームのやり方は、投資志向に分類されると思う。

たとえば、タワーディフェンスで遊んでる時には、まずは「もらえるポイントのアップグレード」に、真っ先にポイントを使うタイプだ。

つまり、前半の成長は遅くても、後半の成長を重視する。
投資志向であり、長期志向であると思う。

仕事でも

これが自分の場合、仕事のやり方にもあらわれていると思う。

学習に即効性を求めるのではなくて、1年2年経った時に、じわじわ効いてくるような、ベーシックな勉強が好きだ。 遠回りしても良いから、より汎用的な学習をしたいと思う。

むしろ、手っ取り早い成長が嫌いだ。
むしろ、あえて遠回りをしたいぐらいの気持ちだ。

たとえばプログラミングだと

「英語の勉強」には即効性がない。 たとえば早くプログラムを組みたいなら、日本語のドキュメントをバリバリ読んだほうが手っ取り早い。

だけど僕は、この2年間ほど、なるべく英語のドキュメントを読む機会を増やすように試みていた。
その効果がいま、少しずつではあるが、あらわれてきた気がする。

英語のドキュメントを読んで「へー!」とか「ほー!」とか、感動できるようになってきたのだ。

ちなみに、プログラミング周りの英語は単語数も限られていて、わりと簡単なものだ。
だが、以前より英語に親しみを覚えられるようになったのは、単純に嬉しい。(カードの幅も広がった)

働き方でも

短期間にものすごい力を出して、一気に消耗するのは良くないと思っている。 コンディションを一定以上のクオリティに保ちながら、毎日、平然とした顔をして仕事をし続けたいと思う。

その方が長期における貢献度のトータルは大きくなるはずだと考えている。

長期志向と短期志向、どちらが良い?

どちらが良いかは決まっていないはずだ。

世の中には、短期でものすごい学習成果を上げる人もいるだろう。

だけど人と比較するのではなく、あくまでも僕という個人において、長期志向の行動は「はまってきている」感じがする。

まとめ

特にこの話には結論がない。
僕は長期志向のやり方が好きで、とても気に入っているという話だ。

人に親切にすると幸福になりやすいらしい

今まで科学がどれだけ発達しても、どれだけ文明が発達しても、おそらく人間の幸福度は上昇しなかった。

人類は人口70億という地球上での繁殖には成功したが、個体それぞれを見ると成功を成し遂げているとは言い難い。

しかし最近では、幸福は統計学的に研究され始め、その原則がほんの少しではあるが、明らかとなってきているようだ。

幸福の条件

書籍『「幸せ」について知っておきたい5つのこと』によると、人間は次の3つの要素によって、幸福感を得やすいようだ。

  • 1 人との交わり
  • 2 親切
  • 3 ここにいること

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個人的な感想

  • 人との交わり
    • どちらかというと内向的なので苦手だ
    • でもこの本を読んで、普段は断っていただろう集まりに行ったり、行動を変えてみた
  • 親切
    • 日頃から、人には親切にしたいと思っているが、毎日実践の機会があるかというと、全くそうではない
  • ここにいること
    • 1年ほど瞑想を実践を続けて、段々と上達してきている

親切を実践してみた

1. カフェで席を譲ってみた

グループで席を探している人たちがいたので「どうぞ」と言ってみた。

2. トイレのゴミを片付けてみた

誰も見てはいなかったけれど。
それは問題じゃないだろう。

3. クレジットカードのポイントが溜まっていたので、寄付に使ってみた

金額にして2000円程度。

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4. 友人との待ち合わせで、ちょっとだけ分かりやすく地図を送ってみた

気持ち、いつもより親切に。

5. カフェで隣の人が物を落としたので、拾うチャンスをうかがってみた

結果は拾える角度じゃなかったけど、この本を読んだだけでも、気の持ちようって変わるもんだな。

ちなみに

一日一善じゃなくて一日五善ぐらいから目に見える効果が現れるとか、現れないとか。

思ったこと

人に親切にするというのは、ちょっとハードルが高くも感じられる。

だけど日常から「親切にできる機会はないだろうか」「誰か困っている人はいないだろうか」と心がけてみることは出来るんじゃないだろうか。

たとえ、全く見知らぬ他人に対してではなくても、

  • 家族に親切にする
  • 知人友達に親切にする
  • 職場の人に親切にする

ということは、比較的簡単に出来そうな気がする。

情けは人のためならず

「親切が幸福につながる」という話の良いところは、これがモラルの問題じゃないところだ。

「モラル的に、人には親切にすべきだから、そうしよう」と思うより、ずっとモチベーションが湧く。
何と言っても、科学や統計のお墨付きがあるのだから。やってみようという気持ちになる。

「自分の幸福のために、人に親切にするだって?」

これをエゴイスティックだと考える人もいるかもしれないが、人には親切に出来て、自分も幸福になるならば、一石二鳥でなんとも美味しい話じゃないか。(失うものは何もない)

もし、世界が良くなるとしたら

今よりも多くの人が、今よりもほんの少しだけ、人に親切にする世界なんじゃないかなあ。

そうしたら、きっと良い世界になりそうな気がする。

他に気になっている本

人は「成功するから幸福になる」のではない。
「幸福だからこそ成功する」らしい。

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つまり、まずは幸福になることが先決であり、最優先事項なのだ。

「そんな無茶な」と思うかもしれないが、最近、瞑想を実践している僕には、このことが実感としてよく理解できる気がする。

このシンプルな図

ものすごく衝撃的な気がするんだけど、あなたはどう感じるだろうか。

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(「ハーバード流 幸せになる技術」より )

吉良吉影に休日の過ごし方を学ぶ

最近思うこと。

休日の過ごし方がうまくなった。

昔よりも、かなり。

昔は下手だった

「あれもしたい」「これもしたい」と思いを巡らしては、どれもこれも中途半端で、ただただ無為な時間を過ごしていた。
休日も終わりかけになると、自分の意志の弱さと、時間の儚さに悲しくなるばかりだった。

100のことを思い描いて心を踊らせたのに、実際に出来るのは1か2ぐらいのことだった。

「有意義」という文字を砂に書いて過ごした。

とにかくひとりでは何も出来なかった。

今年のゴールデンウィークの過ごし方

  • 1日目 カフェで過ごした
    • 2階席でブログを書いていた
  • 2日目 カフェで過ごした
    • 2階席でブログを書いていた
  • 3日目 スターバックス MeRIZE 店で過ごそうとするも、体調不良を起こす
    • 帰宅して18時間ぐらい寝て過ごした
  • 4日目 カフェで過ごした
  • 5日目 カフェ過ごした

そんな5日間だった。
ちなみに全て同じ店。

知る人ぞ知る伝説のカフェ「スターバックス」だ。
この期間で、ホットドリップコーヒーのサイズはトールからグランデ、そしてヴェンティへと進化した。

上達の理由

経験に注意を向ける習慣

  • 「あれをしたら有意義かも」
  • 「これをしたら有意義かも」

という選択肢に、あまりとらわれなくなった。 それよりも、たとえどんな選択をしても、今の時間を味わうことを重視するようになった。

そうしたら、どんな時間を過ごしていても、だいたい楽しく過ごせるようになった。

街をぶらりと歩いていても、ちょっとした発見と出会うことが出来る。
たとえお金を全く使わなくても、映画館に行かなくても、街を歩いているだけで楽しむことが可能になった。

世界それ自体が、穏やかなエンターテインメントであることを発見した。

ノートブックを持ち歩くようになった

アウトプット作業は、インプット作業にはない恍惚感をもたらしてくれる。
キーボードに向かって入力を繰り返していると、あっという間に時間が過ぎてゆく。

カフェに出かけるようになった

カフェの多い街に引っ越して、よくカフェに行くようになった。
自分が静かな場所で、のんびりと過ごすのが好きだということが分かった。

ひとり遊びが上手になった

  • 家にひとりでいると、ゆっくり出来るけれど、ひきこもり感がすごい
  • 外で人と遊ぶと、開放的ではあるけれど、自分の好きなことをする時間がない

休日には、この永遠とも思えるジレンマに悩んでいたのだが「外出 + ひとり遊び」という第三の選択肢を覚えた。 今はこれのスタイルを存分に楽しんでいる。

あとは1日に30分でも15分でも、人と話す時間があれば良い。

ちなみに今まで人生で、ひとり遊びをしたことは全くなかった。 何回か試したことはあったけれど、どうやって遊んで良いかが分からず、途方に暮れるばかりだった。

時計を見る回数が減った

「今日があと何時間残っているか」を、あまり考えないようになった。

ただ今を過ごしているうちに時間が過ぎれば良いし、日が暮れれば良いと思うようになった。

休日の定義

今では休日は、何かを成し遂げるためにあるのではないと理解している。
たとえ何を成し遂げようと、成し遂げまいと、少しでも多くの「今の瞬間」を体験するためのものだと考えている。

それが仕事の勉強という発展的なものであろうと、街をぶらぶらするという非発展的なものであろうと、重要なのは、特定の時間を過ごしているという体験そのものなのだ。

理想の休日

もし「理想の休日」というものがあるならば、吉良吉影のこのセリフに、僕はものすごく共感を覚える。

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そしてもっとも重要なのは
このすてきな青空を眺めることであり
移動する景色をゆっくりと楽しむことなのだ
それ以上に重要なことがこの世にあるのか?
(「死刑執行中脱獄進行中」より)

いや、ない。

今日は街でたんぽぽを見つけた

あまりに久しぶりに見かけたので、この植物の名前を思い出すのに30秒ぐらいかかった。

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そんな暖かな、ゴールデンウィーク最後の日の午後だった。