SNSのアカウント一個するか、複数にするか問題。アイデンティティー問題。サービスの問題。読者の問題。 これには様々な問題が絡んでいると思う。僕の場合で言うとアイデンティティーはいっこにしたい。昔は仕事用とプライベート用のアカウントを分けていたけれど、今は仕事もプライベートもアイデンティティーをいっこにしたい。 だけど現実的なサービスの問題が立ちはだかる。例えばYouTubeでは、一個アカウントでは動画をアップロードしすぎると、アップロードの制限に引っかかるらしく、複数のアカウントを必要としていた。

SNSのアカウント一個するか、複数にするか問題。アイデンティティー問題。サービスの問題。読者の問題。

 


これには様々な問題が絡んでいると思う。僕の場合で言うとアイデンティティーはいっこにしたい。昔は仕事用とプライベート用のアカウントを分けていたけれど、今は仕事もプライベートもアイデンティティーをいっこにしたい。

 


だけど現実的なサービスの問題が立ちはだかる。例えばYouTubeでは、一個アカウントでは動画をアップロードしすぎると、アップロードの制限に引っかかるらしく、複数のアカウントを必要としていた。

 


後は、アイデンティティーの問題や、サービスの問題を解決しても、誰にどれぐらいリーチするかと言う、マーケティング的な問題がある。つまり、読者の問題だ。

 


読者にとっては、いっこのアカウントに色々と情報が流されるのではなくて、例えばAD HDであればAD HD、社交術であれば社交術、プログラミングであればプログラミングだといった風に、カテゴリ分けされている方が読みやすい。ここでまた1つ迷う。

 


さらにまた、アイデンティティーをニコにしたいと思うならば、より多くのサービスの選び方や、インターフェースや、読者の問題を同時に複合的に考えることになる。

 


これは可能性の要素がとても多すぎて、すごく大変な作業じゃないだろうか。

 


そして、いちどアカウントを分けてしまうと、もう下に投稿する事はちょっと難しくなる。少なくとも作業は割と煩雑になるだろう。このように、いちど開けてしまうと元に戻せないと言う問題もある。

 


本来であれば、mediumみたいに、著者のアイデンティティーと購読と言うものがお互いにうまく連携していて、なおかつ複数の購読を作ることができたりして、そのようなサービスが理想なのだけれど。

 


現実的なサービスやアプリケーションの壁と言うのは、やはり常に存在するのだ。

 


僕自身も、このアカウント問題に関してかなり時間をかけて考えなければいけなかったのも、今考えてみると、このように本当に多くの要素が関係しており、予測が非常につけづらいからと言うことがわかった。

 


だけど、もし迷うならば、やってみる、分けてみる方をいちど試してみてもいいかもしれない。世の中の多くの物事において、トライアンドエラーとは、いちどおもちゃ箱をひっくり返して、そしてまた整理整頓をすることだと思う。

 


なのでいちど風呂敷を広げる事はとても勇気が必要なのだけれど、いちど広げてからそして次に、何か違和感を感じれば、元に戻す、小さくすると言う。広げてから戻すことを繰り返すことで、これがトライ&エラーになるのではないかと思う。

 


試す前は未知ことが多すぎてとても自分の頭では予測がつけられないことがたくさんあるのだ。

 


人間は頭で考えれば正解が見つかると思いがちだけれど、絶対に頭で考えてもたどり着けない、試してみなければわからない領域というのが90%位ある。頭で考えてわかると言うのは人間のおごりであり、それこそが予測エラーなのだと僕は考えている。

 


考えてもわからないことを試してみること自体がやはり度胸が必要かもしれないけれども、試してみたら後からきっといい落ち着きどころがわかるはず。