成長の果実の話 - 成長する意味が見つからなくなった人へ
成長することはとても嬉しい。
いちど成果が出れば、次はもっと成長したくなる。
いちど体験すれば、もっと成長という果実がほしくなる。
そうすれば、きっと、もっと気持ち良くなれるはずだから。
だけど、たまに考えてしまう。
そもそも、成長とは一体なんなんだろう。
たとえ成長を続けても、最後には人間は死んでしまうのだから。
ならば、このまま成長をせず最期を迎えても同じじゃないだろうか。
急に成長の意義が、真ん中が失われたように感じてしまう。
確かに前はそこにあったはずなのに、突然見つからなくなる。
成長という果実も、そんなに甘くないんじゃないだろうか。
という疑問を抱き始める。
だけど、君は気づいていない。
本当は、重要なのは成長それ自体じゃなかった。
「かつての問題が、問題じゃなくなる」ということだったんだ。
問題が問題ではなくなった瞬間に、それを君は成長という名前でラベリングする。そして喜びを感じる。
そして「成長が僕を気持ち良くしてくれた」と考えて、次の果実を探そうとする。
かつては、問題を解決することが目的であったのに、次は、成長そのものの甘さに味をしめて、それを探すようになってしまう。
つまり、本質がすっぽりと抜け落ちてしまう。
だけれと、次の成長はなかなか見つからない。
なぜなら、本質を見失っているから。
だから、成長の果実を探すのはやめよう。
もし他の問題があれば解決すれば良いし、もし見当たらないならば、過去や未来に生きるのはやめて、現在を十分に味わえば良い。
過去でも未来でもなく、現在に存在する。
それが生きるということなのだから。