アイアムアヒーロー 22巻 (最終巻) 感想

結論

何の不満もない。

この一コマがすべてを表している気がした。

f:id:yumainaura:20170414074426p:plain

怪物の目的なんて存在しない。 エヴァンゲリオン的な謎明かしは存在しない。

私見

人間は怪物に「何が目的だ?」と聞くけれど、 じゃあ逆に人間が怪物に「何が目的だ?」と聞かれたら、一体何と答えるんだろう。

僕たち人間自身には「目的」なんてものがあるんだろうか?

人間と同じように、怪物にも目的なんて存在しないのだ。

Amazonレビューの反応(1)

この手のマンガは最終回迄に全ての謎が明らかになって当たり前。


なーんも説明ないです、あとはご自身で考えてくださいのよくある終わり方だが輪をかけて腹の立つ終わり方だ。

謎の解明は必要か

こういったAmazonレビューでの、ものすごい低評価を見たあとで本編を読んでしまったので、自分の読み方も、少しフィルタはかかってしまったかもしれない。(最初から期待値が下がっていた)

だけど思うに、最近の読者側というのも「最後に完全に、すべての謎が解き明かされる」ことを期待しすぎじゃないだろうか。

「作者の提供する解釈」と「作者の与えるメッセージ」をぽんとお皿に乗せて、どうぞ召し上がれ、というものを口に含んで、消化する。

ってことに慣れすぎて、自己消化ができなくなっている可能性はないだろうか。 (あるいは「未消化」という選択肢を放棄していないだろうか)

読者の読み方

「メッセージありき」で作品を読むのは何故なんだろう。 「メッセージなんてない」という可能性だってあるじゃないか。

  1. メッセージがあり、語られる。
  2. メッセージがあるが、語られない。
  3. メッセージがないにも関わらず、語られる。
  4. メッセージはなく、語られない。

この作品は4に分類されるんじゃないだろうか。 ただ4なのに、いかにも3に見えるところが、読者の不満を買ったのかもしれない。

Amazonレビューの反応(2)

このようにゾンビパニック以外の謎が数多く散りばめられており、その謎がついに解明される!・・・・・ といった一番大事な場面で唐突に終わってしまっているのです。 これが普通のゾンビパニック漫画で、「まぁそれくらいはいいか」程度の謎だったらここまで低評価は多くないでしょうし、実写映画化されるほどの人気作品にもならない”ごくごく普通の娯楽漫画”になっていた事でしょう。 でも花沢先生はそれを非常に面白い、ワクワクさせるような謎を孕ませた作品に仕立て上げました。 謎が段々と解明されていくような爽快感や次巻の発売を待ち遠しくさせるようなストーリー展開は本当に見事だと思います。 ・・・・・が、そうやって読者に謎解きの楽しさや面白さを与えておきながら、ズパーーーン!!と終わらせてしまったのですよ。 「謎が解明されていないのがそんなに不満なのか?」というレビューがありますが、作者が作品の中に謎を作り出し、それを段々と面白く解きほぐしている最中にこんな終わり方をされたらそりゃ怒るって話ですよ。

このレビューを読んである程度納得がいった。

自分はそこまで「謎」に対してコミットした読み方をしていなかった。 つまり読み方が違った。作品に対する「熱の入れ方」が違ったのかもしれない

読み方のコンテキスト

あとはやはり、8年間にわたり連載を置い続けるのと、今回の僕のように、まずKindleで一気読みに近い形を取るのでは、まったく熱も違うし、感じ方も違うよなあと思う。

8年間、作品を追い続けてきて、コミックスも全巻揃え、Amazonにレビューも書くような熱い読者の場合、熱の入り方が違うから、唐突な終わりに不満があっても仕方ないよなあと思う。

僕らはまったく同じ作品を読んでいるようであって、実はまったく別のコンテキストで評価を下しているのだ。

8年かけて読むアイアムアヒーローと、1日で1気読みするアイアムアヒーローまったくの別作品 だ。

Amazonレビュアーとコンビニ読者

ただAmazonレビューの反応というのは、あくまでも「Amazonレビュアー」の特質を持った評価だ。

ひとつの漫画に対して、読者の何%がAmazonレビューを読み、そのうち何%がレビューを書いているかは分からないが、全体からしてみたら少数なんじゃないだろうか。

少なくとも「傾向として、熱の入った読者」がレビューを付けているものと思われる。 つまりは、マジョリティな反応のように思えて、マイノリティな反応なのかもしれない。

Amazonにレビューを書かない読者は、そもそも評価をしないので、反応を知ることが出来ない。

たとえばコンビニでふらりとコミックスを買う読者とか、なんとなく低い温度で、全巻を読んで「ま、いいや」と思う読者の反応は、どこにも記録されない。 統計的には分からないけど、実はこういった「熱の低い読者」の方が割合は大きいんじゃないかなあ。 (最終巻まで買う読者の熱が低いかどうか、ということは考慮の余地があるけれど)

Amazonレビューの反応(3)

また別角度でのレビューもあり味わい深い。(星五個)

国内の鉄砲所持者です。

アメリカなら一家に数丁の銃があって当たり前ですが、国内では少数。 警察、自衛隊とかは勤務中は所持出来ますが、自宅に持ち帰り保管は出来ない。 自宅に銃、装弾を保管、自分の支配下に置ける合法所持者が主人公なのが面白い。 漫画に描かれている、銃についての数々のエピソードは鉄砲所持者なら凄く分かる 内容で面白い。

Amazon CAPTCHA

人は変わる生き物か 変わらない生き物か

僕の考えとしては、人は常に変わり続けていると思う。 マイナーチェンジであろうと、メジャーチェンジであろうと。

ただ見かけが毎日同じ人だから、変わっていないように錯覚をするだけだ。

ところで

「人は変わらない」派の人は、当たり前だが、「人の本質は変わらない」という観点で世界を見る。

たとえば緑一色だったのが

f:id:yumainaura:20170413215652p:plain

半分は青に変わったとしよう

f:id:yumainaura:20170413215712p:plain

そこで、残った緑色の部分を「その人の本質」と呼ぶ

f:id:yumainaura:20170413215752p:plain

これって

ずるいんじゃない?

ただ「変わらず残った部分を、本質」と呼んで、逆に「変わった部分を、非本質」と呼んでいるだけじゃない?

って

半年に一度は頭のなかで仮想敵と戦っているので、ついにブログに書き記しておくことにした経緯だ。

スポーツが苦手なんじゃない、嫌いなんだ。

「スポーツが苦手だ」というと、「でも大丈夫」「初心者にも易しい集まりだから」と返されたりする。

違う、苦手なんじゃない、嫌いなんだ。

いや正確に言うと、やや苦手な上に、嫌いでもある。

スポーツ好きな人には、この気持ちは分からないだろう。

なぜ嫌いなのか

  • 息が切れるから
  • 汗をかくから
  • 汚れるから

スポーツが好きな人が、それを好きな理由がそのまま、嫌いな理由になっている感じ。

同じく

カラオケが苦手だ。 というよりカラオケが嫌いだ。

「苦手だ」という言葉には「嫌いだ」というニュアンスが含まれている。

だけど「俺はカラオケが嫌いだ」なんて言えば角は立つ。 だから言葉のオブラートに包んで「苦手だ」って言う。

この世間はそういう風に出来ている。

不健康だって?

マラソン選手は寿命が縮むというデータがあるぐらいで、激しい運動は必ずしも健康には寄与しない。

ヤマト宅急便では郵便番号+番地だけでは荷物は送れない (住所の省略不可)

住所はどこまで省略できるのか、試してみた。

結果

無理だった。

いきさつ

宅急便の伝票を書くのがとにかく面倒くさい。面倒くさくて仕方がない

郵便番号って「市町村」まで特定できるわけだから、なぜここまで面倒なことをさせるのか。

だが 郵便番号+丁番号+氏名+電話番号 だけで理論的には荷物が出せるはず。 ということでやってみた。

コンビニから配送

店員さんがちょっと怪訝な顔をしていた。

3日後

  • まだ相手先に荷物が届かない。
  • 伝票番号をウェブから入力しても、そもそも荷物が登録されていない。
  • 特にヤマト運輸から電話で連絡もない。

4日後

近くのヤマトのセンターに問い合わせた。 受付店舗、配送元の住所名前、配送先の住所名前を伝えた。

同日

ヤマトのセンターから連絡があった。

  • 「こちらのお荷物なんですけどねぇ〜」
  • 「こちら相手先の住所も書かれておりませんしぃ〜」
  • 「配送元の住所も書かれておりませんしぃ〜」
  • 「相手先のお電話も現在使われておりませんと返ってきますしぃ〜」(記載ミスだろうか? そしたらこれは僕が悪い)
  • 「今回はお電話で住所をうかがったので、このまま配送させていただきますけどねぇ〜」
  • 「今後、こういう出し方をされますとねぇ、こちらも受付いたしかねるんですよ〜」
  • 「はい、じゃあお願い致しますぅ〜」

ものすっごく迷惑そうな声で電話がかかってきて、イラッとした。

朝、急いでいたこともあって、とても

  • 「郵便番号だけで住所ってわからないんですか?」
  • 「相手先の電話が繋がらなくても、送り主(僕)に電話はしなかったんですか?」(まさか電話番号を2個同時に間違うことはないだろう)

と聞く余裕はなかった。

しかし

この問題、どうにかならないですかね! 住所と郵便番号、合わせて書いたほうが間違いが少なくなるだろうことは分かるけど。

ほら、「日本語の画数」って、ものすごく多いじゃないですか。

あとで気になってウェブで調べたら、郵便系(ゆうパックとか)であれば郵便番号+丁目・番地・号だけでも届くようなことが書いてあった。

酒を飲まないメリットの大きさ

なんだか普通の話を書く。

  • 飲酒する人は、飲酒のメリットがよく見えるようになる。
  • 飲酒しない人は、飲酒しないメリットがよく見えるようになる。

その逆ではない。

人間は自分の状況を肯定しようとする生き物だ。

僕は最近酒を飲まない。 だから非飲酒のメリットばかりが、だんだんと目につくようになってきた。

人と話す時は、なるべく酒を飲まずに過ごしたい。 なるべく明瞭な意識のまま、鈍化しない時間の中で過ごしたい。

たとえば、酒で人と人は打ち解けるというが、それよりも、普段からオープンな心で接した方が良い。そんなことを思うのは綺麗事だろうか。 あまりに酔っていては、本音を話すどころか、ろれつが回らなくなった舌が、ただ自動的に音を出すのみだ。

  • 意図を繊細に理解する
  • よく考えて答える
  • 発展的に話題をつなげる
  • 繊細に会話の接点を見つける

こういったことの全てが、酒を飲んでいてはできなくなってしまう。

酒はとても楽しい気分にしてくれるが、その逆に、とてもひどい気持ちになることだってある。 人は「楽しい気分」のことばかりを覚えているが、得られるもののかわりに、失うものだって多い。失っているもののの大きさに気付いていないだけだ。

酒を飲んでいると、あっという間に時間は経ち、記憶は薄れ、もう次の日になっていたりする。 「たしなむ程度に飲む」のであっても、やっぱり多少は時間の感覚は鈍くなる。程度の差があるだけだ。

ただでさえ人は人の話を「聞いていない」のに、酒に溺れた人が、他人の話を聞けるはずがない。

酒を飲む人生はもったいない。