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Yuma Inaura 稲浦悠馬 | とりとめもないこと

愛すべき Mac Book Air に捧ぐ

人の見た太陽よりも、自分の見る太陽は100倍まぶしい

当たり前だが、自分が体験したものだから。

僕自身は、Facebookやブログに太陽の写真がアップロードされていても、何も思わない。 意識は0.1秒で通り過ぎる。何百ピクセルかの枠に収められた、ただの視覚情報だ。

だが、自分がきれいな太陽を見つけると、つい写真に取りたくなる。

  • 目覚めて、カーテンを開けた瞬間、想像以上の光が挿し込んでくる(探したわけではないのに)
  • 部屋の他の場所が見えなくなるぐらい、光が視界を占領する
  • 肌にまで届く暖かさ、少し焼けるような感覚
  • 太陽の光のある部屋で、歯を磨き、水を飲み、ブログを書く経験

こういった経験のうち、たぶん1%も、写真1枚には収められない。 ものすごく当たり前の話だが「写真」と「体験」の間には、ものすごいギャップがあるのだと、改めて思った。

ちなみに「こんな朝陽を見つけられた俺、いいだろ」と動機なわけではなくて、 「こんなに綺麗なものを見つけたのに、全く記録しておかないのはもったいない」という感覚だ。

たとえそれが、他の人から見れば取るに足らない太陽でも、毎日まるで同じような景色であったとしても。 僕にとっては「別々の体験」であり「神々しい体験」の記録なのだ。

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写真1枚で経験をシェアできる、経験まで保存できるというのは全くの錯覚なのだが、僕は決して写真を否定しているわけではない。

むしろ、人よりもよく写真を撮る。 心が動くものがあると、なんでも写真に収めようとするタイプだ。

写真は、

  • 同じような体験をしたことがある人には伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
  • 地域や人間関係が近い人には伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
  • 想像力のある人には伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
  • 文章と一緒に、コンテキストをうまく伝われば、伝わる可能性がある (別に、伝えなくても良いのだけど)
  • 写真を後から見返して、自分で体験を思い返すことが出来る (これはけっこう重要かもしれない)

というなかなか粋なものだ。

ちなみにブログにアップすると、スマホの小さい画面よりも、大きな解像度で見られるところも良い。 写真1枚だけでは物足りないので、必然的に何かテキストを書くことになるし、その時考えていたことをテキストとして残せるところも良い。

という、とりとめもない話。