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Yuma Inaura 稲浦悠馬 | とりとめもないこと

愛すべき Mac Book Air に捧ぐ

北新地の一笑でシャトーブリアンステーキを食べてきた

会社の懇親会にて

これだ。

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コース7000円という、滅多にお目にかからない高級感だ。

(懇親会の中でも、プチ記念パーティー的な日だったのだ)

感想

非常に美味かった。

高級肉の良さは、味のクオリティだけではない。
奥深さ。つまり情報量だ。

シャトーブリアンのすばらしさを感じた。 (ちなみに「シャトー」や「ブリアン」が一体何のことなのかはよく理解していない)

メニュー

の順番で提供された。

「焼肉は、上質な肉を最初に食べるに限る」と思っている僕にとっては、この順番は納得だ。

焼肉は後半になるほど、舌が慣れてきて肉の旨味も感じられなくなってくる。 だから最高級肉を一番最初に口に運ぶのは、とても正しい。

さすが高級店だけあって、出す順番も心得ている。

準備体制

楽しみにしていた高級肉。
僕はこの肉たちをどんな風に楽しんでやろうかと想像を膨らませていた。

  • 皿に盛られた高級肉の鮮やかさで、目を楽しませる。
  • 一番食べたい1枚を焼き、最高に自分好みの焼き上がりに調理する。
  • もういちど焼き上がりを目に焼き付けて、肉質のクオリティを感じてみる。
  • まずは塩だけで、肉本来の旨味を味わう。
  • 次にタレをつけたりして、色々なバリエーションでの体験をコンプリートする。
  • その後も、自分の満腹感や舌のコンディションと相談しながら、一番美味しい食べ方を戦略的に選択している。

僕が食事を楽しむ時は、上記のように、細心の注意を払ってタイミングというものを考えている。
何故なら、一番美味い食べ方を選びたいし、一番上質な体験を選びたいからだ。

この懇親会は、そのために絶好の機会であった。
(プライベートでも7000円のディナーはまず食べない)

だがしかし

この時に同席したメンバーは、このコース7000円の焼肉を、 まるで3000円の食べ放題であるのようにスピーディーに食べる猛者たちだった。

  • 「どんどん焼いてー!」
  • 「どんどん食べてねー!」

体育会系のノリである。

僕は必死の抵抗を見せた。

  • 「自分の分は自分で焼きますからね!」
  • 「自分の分は自分で焼きますよー!」
  • 「自分の分は自分で焼きたいなあー!」

と3回ほど絶叫したが、無駄だった。
まったく耳に届いていない。シャトーブリアンの威力おそるべし。

なので仕方なく、このスピード感の中で最大にシャトーブリアンを味わうことにした。

ちなみに

同席したメンバーの一人は、最初に提供されたのがシャトーブリアンステーキだとは気づかずに、食べるチャンスを逃してしまったらしい。
(だからあれほどスピーディーに焼いていたのだと納得した)

店名の由来

「一笑」という名前が気になった。

  • 「1回だけ笑えば良い」
  • 「何度も大笑いしなくて良い」
  • 「穏やかに慎ましい時間を過ごしてほしい」

そんなニュアンスだろうか。 そうだとしたら、いかにも高級店らしいネーミングのようにも感じられる。

あまりにも唐突に風邪を引いた

あまりにも唐突に風邪を引いた。はじめての経験だった。

昨日、外に出ていると、急激に体調が悪くなった。
体がフラフラとして、歩くことさえ難しくなってきた。

30分前まではごく普通の状態だったはずなのに。
今朝は普段通り筋トレだってやっていたはずだ。

「今までにない現象だ」「なんだこれは」と驚きを感じた。

だが、そんな状態なので、街ぶらは諦めて帰宅することにした。
かろうじて家に帰ると、体が熱かった。

そして午後5時から、次の朝の9時まで、16時間ほどは眠った。

今までに起きなかった現象が突如として起こる。
人体とは不思議なものだ。

(そう、老いや死を免れる体はひとつも存在しない。そうだろう? ジェームス)

風邪の予兆

風邪というものには普段、予兆があるものである。

  • 集中力が落ちる
  • 体の節々が痛む
  • 寒気を感じる
  • 睡眠時間が長めになる

その時はこれを「ちょっとした不調」と考えるものの、風邪をひいたあとで「あれは体への警告だったのだ」と気付くのが釣りだ。

だが、今回はその予兆すらもなかった。 正確に言うと、予兆のレベルがものすごく低かった。

今思えば、ほんの少し集中力が落ちたり、ほんの少し関節が痛かったりという症状があったかなというぐらいだ。

無敵感のジンクス

今までの人生を振り返ってみると、

  • 体調管理を万全を期している
  • 体調がすこぶる良いと感じている
  • 体調管理に新しく自信を付け始めている

そんな時こそ、意外に体調を崩すパターンが多いように思う。
そのたび反省するのだが、体調管理においてはやはり「無敵感」は宜しくないのかもしれない。

体調がすこぶる良いという自信が、ちょっとしたエネルギーの消費にも鈍感にさせ、コンディションを崩す土台を作っているのだろうか。 そこに寒暖差の激しさや、忙しさが加わると、なかなか危ない。

コンディション管理に定評あり?

こういう時にまず思うことは、自分が体調を崩したなんて、認めたくないということだ。

  • 日頃からコンディション管理には徹頭徹尾こだわっている。
  • 栄養面も睡眠面も心理面も厳重な注意を払ってケアしている。
  • 人にも「そのおかげで、体調がすこぶる良い」と伝えている。

そんな自分がまさか、このタイミングで、体調を崩すなんて。
「体調管理には自信があったんじゃないのか」「でも、全然出来ていないじゃないか」なんてことを考えて一瞬、恥ずかしさを感じたりもする。

休日のロスト

そして、風邪によって本来あったはずの時間も失われてしまう。

  • 本当ならば今頃、陽の当たるカフェでブログを書いていたはずなのに。
  • 本当ならば最高のコンディションで、仕事の勉強をしていたはずなのに。

なんてことを考える。

だけど、自分が体調を崩した時に大事なのは、まずそれを認めるということだ。
「あれが出来たのに」「これが出来たのに」という夢に溺れれば、風邪をひくことのはもっと辛い経験になる。

だが瞑想を続けているおかげで、現状を受け入れることはずいぶんと上手になった。

体質は変化する

僕は日頃から、人よりもコンディション管理に気を遣っている。
そして5年前よりも、10年前よりも体調が良くなったと感じている。

だけどどうあがいても、年齢によって体質というものは変化する。 我々はいずれは加齢や、それによる容姿の変化も受け入れていかなければいけないのだ。

(変化を受け入れられない人生より、受け入れられる人生のほうがずっと楽だろう)

まとめ

  • 今までにないスピーディーな風邪のひきかたをして驚いた。
  • 風邪を引いたときに大事なのは、まずはそれを受け入れること。
  • コンディション管理によって体調は良くなるが、年齢によって体質の傾向は変化する。

四人でボードゲームを遊ぶ難しさについて (「 決戦! ドカポン王国 Ⅳ」 )

お題「一番好きなボードゲーム」 を挙げるとしたら、このタイトル一択だ。

果たしてテレビゲームはボードゲームと言えるのだろうか。

言える。

何故ならボードが物理上に存在するか、電子上に存在するかは問題ではない。
僕らに必要なのは駆け引きだけだ。

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パッケージ

ところでこのゲーム、パッケージは少しポリゴン風に描かれているが、ゲーム自体は全くポリゴンではない。

あとタイトルにⅣと付いているが、まったく四作品目ではなくて初代作品だ、ということを知ったのは大人になってからだった。

何故このタイトルなのか。
「4人で遊べること」を表現してⅣになったのだろうか。
いや「既に定番のシリーズであるかのような錯覚を抱かせる」という、当時にしては高度なマーケティングだったのかもしれない。

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4人でボードゲームを遊ぶ難しさ

多くの諸君が経験していることと思うが、ボードゲームを4人で遊ぶというのは至難の業が必要とされる。

まず遊ぶ年数の設定が難しい。
周回年数を99年に設定したりしても、絶対に1日では遊びきれない。

ドカポン王国然り。桃太郎電鉄然り。
もし99年を遊ぶとしたら丸1週間はかかることだろう。

ボードゲームにはセーブ機能がある。だから日を変えて遊び直せば良いのだが、それも不可能だ。
子どもたちは「また同じメンバーで集まって遊ぼう」と固く誓いはするものの、その約束が果たされることはついにない。

たとえまた、奇跡的に全く同じメンバーが集まる日がやって来たとしても、その頃には既に時が過ぎ、前回の記憶は薄れ、結局はまた新しいゲームを始める方が良いという結論に落ち着くこととなる。

なので、これに教訓を得た子どもたちは、「今日遊べる時間」に対して周回年数を絶妙に調整する技を身につけるのだが、それはそれで、毎回序盤のゲームだけを楽しむこととなる。

より奥深い戦略性があるはずの、ゲーム後半までたどり着くこともまずない。

むすっとする奴

ボードゲームの難しさとは、人の気持ちだ。プライスレスだ。

この手のボードゲームはだいたい後半になればなるほど、成功しているプレイヤーと、失敗しているプレイヤーの差が開く作りになっている。
しかも、大昔のスーパーファミコンのゲームなのだから、その特徴は顕著だ。

その結果何が起こるか。

負けているプレイヤーは途中から「むすっ」としてしまうことになる。
「何かあいつ、全然楽しくなさそうだな」と思ったら、それはゲームで負けが込んで、まったくゲームを楽しめていないせいだ。

  • 勝っているプレイヤーはずっと遊び続けたい
  • 負けているプレイヤーは早く終わりたい

これがボードゲームの難しさである。

勝者と敗者

ゲームというものは、勝者だけが楽しんでも、その勝者さえ、長く楽しむことは出来ないのだ。
なぜならボードゲームの楽しさは、全てのプレイヤーが熱くなれるかどうかにかかっているからだ。

本当なら僅差で白熱するゲームが一番楽しいのだろうけれど、意図的にそのゲーム展開を作り出すことは出来ない。 誰かがわざと負けてでもやらない限りはね。

そう思うと「上級者が負けてやる」とうのは「ゲームを熱を失わせないための優れた戦略」なのかもしれない、とふと思った。

盆をひっくり返すゲーム制作者

この手のゲームには周回が終わった最後に「王様からのボーナス」的なイベントがあるのが定番だ。

このドカポン王国にも、確か最後にそういったイベントがあったはず。

だが同シリーズのプレイステーション版の作品では、 なぜか「一番死んだプレイヤーに大きな報酬が入る」というイベントがあって、それが莫大な金額に設定されていた。

たとえば2~3時間かけて、1位のプレイヤーが貯めた金額が1000Gだとしたら、一番死んだプレイヤーへのボーナスは50000G、というような壊れた設定だった。 そのせいで、それまで4位だったプレイヤーが、一気に一位に踊り出て優勝してしまうという珍事が起きた。

誰がどう考えても、天地が逆転しても、明らかにおかしいゲームバランス。 これをクイズ番組で言うならば「最後の問題だけは100万点だけど、回答者にはそれが知らされていなかった」状態。

ものすごく興ざめして、二度と遊ばなかった。

このようにゲームにおいては「盆をひっくり返す」ような仕様はご法度である。 だが今思えばこれは「むすっとしてしまう奴対策」の仕様だったのかもしれない。

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ドカポン王国の面白さ

ところでこのゲームの面白さは

  • 敵 / 経験値 / お金 / 武器 / アイテム が存在するRPGのベーシックさ
    • レベルが上がるごとに各パラメータにボーナスを割り振ることが出来る
  • モンスターから村を救出すると、村から定期収入が入るようになる
  • 村に寄付をして、収入をアップグレードすることも出来る
  • プレイヤー同士が戦うことが可能で、勝ったプレイヤーは相手の持ち物を没収することが出来る
    • 4つのボタンで繰り広げられる絶妙な心の読み合い
    • 負けたプレイヤーは何周か全くゲームに参加出来なくなる

このように

が絶妙なバランスで組み合わされているところが、奇跡的に面白いのだ。

この作品、末永くシリーズが出続けているようだが、一番面白いのは、なんといっても荒削りな初代のⅣだ。

TVCM

当時、コマーシャルでは「友情破壊ゲーム」と銘打って宣伝されていた。

これが本当に、悔しすぎてないてしまった子供もいるぐらいの衝撃的なゲームだったのだ。

ゲームに性格は表れる

これは僕の持論だが、ゲームのやり方にはものすごく性格が表れる。

  • 敵と戦って着実に経験値を貯めていくやつ。
  • 序盤から赤い宝箱を開けて、ギャンブルに賭けようとする奴。
  • 心理戦で相手のパターンを分析し、確実に裏をかいてくる奴。 (大人になって出世しただろうな)
  • プレイヤー同士の戦いになったら絶対に「逃げるコマンド」を選ぶやつ。

今できるならば、子供の頃の過去のプレイを見返して、それぞれどんな大人になったか振り返ってみたいものだ。
どんなパラメータを割り振って、どんな風に成長しているのだろう。

しみじみ。

ブログに書きたいことは無限にある

無限に出てくる。 いちどブログを書くということが習慣化してしまうと、大小様々、テーマといふものは無限に現れいづるようになる。

たとえば朝出勤の途中、少なくとも10個のテーマが頭をよぎる。 あるものは意識不可能なほどに一瞬で消滅し、あるものにはより大きい形があり、明確にテーマとしてワタシに認識される。

そして、いざ何かテーマを思いついたら「これは絶対に書き留めておかなければいけないものだ」という衝動に駆られる。 釣りで言えば「大きな魚が竿に食いついている!」といった感覚だ。 (ちなみに釣りをしたことは1回しかない)

なので僕の場合、何かテーマを思いついたら、すぐにスマホのメモ用アプリに書き留めるようにしている。

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それをメモしなかったらどうなるか (男はソレを我慢できない)

もし、1個のテーマをメモをせずに歩き続けた場合。 それのテーマを頭の中で覚えておくことになる。

だが次には、2個目のテーマが頭の中に出現する。 そして、合計2個のテーマを忘れないように、頭で復唱しながら歩くことになる。

こうしてどんどん脳のメモリ負荷は増大していく。 3個以上になるともうダメだ。既に最初の1個目は忘れかけている。

この脳の負荷を下げるためにも、僕には思いついたテーマをメモするという崇高な義務がある。

だが歩きスマホは危ない。だから、足が止まったタイミングでメモをするようにしている。 だから、早く次の信号待ちエリアに差し掛からないかと思う。

運悪く、ずっと青信号が続いたりしたらヤバイ。 大事なテーマが脳からこぼれ落ちてしまいそうだ。

だから僕は赤信号を求める。

速度重要

メモというものは、サッと取れるということが本当に重要だ。 文字入力ごとの0.05秒ぐらいの遅延が、メモの良さを台無しにしてしまう。

朝の出勤時、忙しい時に重要なメモを取るのだから、これは必須要件だ。

たとえば昔の西部で、ガンマンが0.1秒、銃を引き抜くのが遅れたらどうなるか。

死あるのみである。

だが最近、iPhoneのOSアップデートでiPhone6sが重くなった。特に文字入力が遅くなった気がする。 これは僕のスマホライフにとって命取りだ。

スピードなきものには死あるのみ。

ガンマンの銃を劣化させるiOSのアップデート。 俺たちの命を何だと考えているのか。

新しい銃がほしい。 快適にメモをとる、ただそれだけのためだけに、新しい銃 ( iPhone7S or 8 ) の購入さえも考えたほどだ。

だが文字入力に特に支障を期待しているのが、主にNoteアプリであることに気付いたため、今さらだがEvernoteを入れてみることにした。 こいつは今のところ快適に動作している。

1/10

閑話休題

だが、こうやって必死にメモしたもののうち、実際にブログに書くことが出来る記事はごくわずかだ。

仮に1日に30個のテーマが頭をよぎったとして、せいぜい記事にできるのは2個か3個。 ほとんどのものはメモアプリの下の方に埋もれてゆく。

なぜなら時間が経過して、重要だったことも重要ではなくなる。 ブログを書くモチベーションも、毎日ものすごく高いわけではない。

より重要なことを書こうとすれば、より重要でないことは書かないという結果になる。

だが、それでいいのだ。

ブログを美味しくいただきます

ブログを書くと言うことは僕にとって、美味しいものを食べるのと同じような感覚だ。

全世界の店の、全世界のメニューの中で、食べられる料理はごくわずかだ。 それと同じように、ブログのテーマは材料であり、そのうちで料理して食べられるものはごく少数である。

ブログを書くということは、無限の材料と、材料の選択肢の中で、今日の料理を美味しく食べるということである。

以上。

新書のデザインが統一されている理由

ふと思った。
これって意外と優れた販売戦略なのかもしれない。

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  • デザイン料がかからない
  • 新書シリーズのブランディングが出来る
    • 良いコンテンツを売り続けるほど、ブランド力が高まる
    • 逆もまた然り
  • 読者とのマッチングがしやすい
    • 「この新書シリーズ、良かった」って人は、次からは、著者の違いに関わらず本を買うようになる
    • 「この新書シリーズ、いまいちだった」って人は、次からは、本の内容に関わらず買わなくなる

ストイックな人生は楽園である

飲みの場でも酒を飲まない

お茶を飲む。

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糖質制限を徹底する

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炭水化物を見つけたら

取り除く。

この上に乗っているパリパリでさえ取り除く。

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感想

ストックな行動は、ものすごく楽だ。

なぜなら

  • 飲むか飲まざるか
  • 炭水化物を摂るか摂らざるか

という迷いと、永遠におさらば出来るからだ。

中途半端は迷いの種

これが

  • 1日に1度は、甘いものを食べる。
  • 1週間に1度は、酒を飲む

というルールだと

  • 甘いものを食べるたびに甘いものへの誘惑度が増す。
  • 酒を呑むたびに酒への誘惑度が増す。

そして、しばらくはまた誘惑と戦わなければいけなくなる。
それはストイックな行動よりも、もっと「辛い」ことなのだ。

誘惑度のコントロール

人が新しい習慣づくりで辛くなるのは

  • 誘惑のレベル
  • 意志のレベル

この二つの要素が、常に競り合ってしまうからだ。

つまり、

  • 誘惑のレベルをぐんと下げる
  • 誘惑度のコントロールをする

ことで、意志を使わず済むようになることが重要だ。

  • 誘惑度を上げる行動があれば、それを避ける。
  • 誘惑度を下げる行動があれば、それをする。

日々、この二つを実行していくだけで良いのだ。

ストイックは楽園である

世間には、

  • ストイックは厳しいもの。
  • ストイックすぎると人生が辛い。

こういうイメージがあるが、実は違う。

実はストイックさにも二種類ある。

  • 習慣の力を味方にした、楽なストイックさ。
  • 意志力で我慢をし続ける、つらいストイックさ。

とにかく楽をしよう

重要なのは、習慣の力を身に着けて、とにかく楽をすることだ。

「何が一番楽だろう」という工夫を積み重ねていった結果として、それが周りからストイックに見えるということはある。 僕がそのパターンだ。

たとえば、イチローは毎日変わらず、一定のトレーニングを重ねているというが、これはつらいことなのだろうか?
僕は彼が「ストイックさの楽園」にいるのではないかと考えている。

例外を作る時

と、ここまで書いたものの、僕も「例外を作らないというルール」に対して「例外」を作る場合はある。

友だちの誕生日にはケーキも食べるし、土曜日に1杯だけお酒を飲んだりもする。
だけど重要なのは、誘惑度をコントロールできる範囲に抑えておくということだ。

たとえ例外を作ったとしても、自分の習慣さえコントロールの範囲内にあれば良い。

それで人生楽しいの?

すごく楽しい。

たとえば

  • 糖質制限
  • 飲酒をしない
  • 喫煙をしない(これは元から)
  • ギャンブルをしない(これも元から)
  • 睡眠をよく摂る

ということで、日々のコンディションは整う。
仕事をしていても、何か趣味をしていても、ほぼ集中力を保てるようになっていく。

僕は、このストイックさの「甘さ」を、よく噛み締めている。

まとめ

  • 楽さを突き詰めた結果、それが周りからストイックに見えることがある。
  • ストイックな習慣は面白くて仕方がない。
  • 誘惑度のコントロールをしてみよう、意志の力ではなく、戦略的に考えてみよう。

朝は著者、夜は読者 (頭が悪そうな文章を推敲する是非)

朝ブログに書いた文章を、夜見返すと、とても残念な気持ちになることがある。

  • 文章全体の構成がおかしい
  • 文節の構成がおかしい
  • 言葉の選択がおかしい
  • 句読点の付け方がおかしい
  • 余計な表現が多い(カッコや倒置法など)
  • 言いたかったことが全然伝えられていない
  • 話が横道にそれすぎて、結論が分からない(書いている時は、横道にそれるのをウィットの証だと感じていたりする)
  • 二個の記事に分ければ良い話を、一個の記事にまとめてしまっている
  • チグハグに付け足しをした文章が、統一感を残っている

ということに気付く。

  • 「何言ってるんだこいつ」
  • 「頭悪そうだな」

と自分で思ったりする。

朝は著者、夜は読者

なぜこういう現象が起こるのか。

  • 朝は集中力が高いが、夜は低い。なので朝にはよく分かった文章も、夜にはよく分からなくなる。
    • この理由は疑わしい。
  • そもそも、根本的に書いた文章が練られていない。
    • たぶんこれが大きな理由だろう。
    • 朝や夜は関係なく、単に時間が経ったことで、冷静に文章を読めるようになる。
  • はてなブログプレビュー機能がつらい。
    • これも20%ぐらいは関係している気がする。
    • Mediumや、せめてQiitaぐらいには使いやすい、ライブなプレビュー機能があれば良いのに。

少なくとも、朝と夜では自分は別人になっているということが言える。

遂行したはずが…

ちなみに、朝忙しい時にブログを書く場合でも、さらっと文章全体を推敲はしているのだ。

遂行している最中は「こいつぁいい推敲だ」と思い込んでいるのだが、あとで読み返すと、それでも残念な感じが見えたりする。

「遂行したのに、この程度か!」と思うと、さらに残念さが増す。

なので「この文章、頭悪いな」と自分で感じた時は、恥ずかしくて、すぐに編集ボタンを押してしまう。

ジレンマ

だが「頭の悪そうな文章を書き直す」という行為は、諸刃の剣だ。

なぜならブログの文章を書く時には、テンポがものすごく重要だ。

  • 「これは良い文章構成だろうか?」
  • 「人に伝わりやすい表現になっているだろうか?」
  • 「後から読み直して、馬鹿に見えるような文章ではないだろうか?」

と考えてばかりでは、そもそもブログを書くことは全然楽しくなくなってしまう。

ブログを書く動機

なぜなら僕の場合、

  • 人に伝えるためにブログを書いているわけではない。
  • 文章の練習をしているわけでもない。
  • 単にMacBookAirで軽快にキーボードを叩き、文章を打ち込むという「体験」のためにブログを書いている。
  • 完全に自己満足のためにブログを書いている。これだけは絶対に譲れない。(誰に譲ってくれとも言われないが)

問題 - 推敲にはコストがかかる

文章の推敲にはものすごいコストがかかる。ちゃんとやろうとすればするほど。

特に「何も書かず、立ち止まってしまっている時」には、コストが増大する。

文章を打ち込みながら、迷う瞬間が1秒でもあれば、そこで心は消耗する。 迷う時間は1秒よりも0.5秒、0.5秒よりも0.1秒のほうが良い。

理想としては、僕自身の頭は何も考えず、自動的に手が動いてゆくぐらいの感覚が良いのだ。(むしろその感覚が好きでブログを書いているぐらいだ)

問題 - 推敲した差分が見られない

推敲にはもうひとつの問題がある。

推敲前の文章と、推敲後の文章の差分が分からないということだ。

つまり、頭の悪そうな文章を修正しても、どれぐらい賢そうに変わったのか、その差分が分からない。

はてなブログに朗報?

そんなことを考えている時。

イムリーに、はてなブログの新着機能が搭載された。

staff.hatenablog.com

だがしかし。

なんか違うんだよな。文章の差分が見られるわけではないらしい。

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あくまでこれは「間違ってしまった時のリカバリー機能」であって「差分の追跡機能」ではないっぽい。

問題 - 推敲すると、新しいことを書く時間がなくなる

頭が良さそうな文章を考え、楽しめもせず、古い記事に時間を使っている間に、新しいことを書く時間は着実に失われていくのだ。

あまりにももったいない気がする。

まとめ

  • 頭が悪そうな文章を書くと、自分で自分の文章が嫌になる。
  • 頭が悪そうな文章を直そうとすると、ブログを書くのが嫌になる。
  • 頭が悪く見えてもいいじゃん。どうせブログは自分ではないんだし。
    • ブログは自分本体ではなくて、あくまで自分の書いた文章だと理解している。
  • 推敲も楽しめるようになったら一石二鳥だ。
  • はてなブログの履歴機能では、差分を探すのは大変そうだ。

ところでこの記事を書いていても、かなり横道にそれてしまった気もする。

推敲する?

YES / NO