そして誰もいなくなった 2019-03-20

全ての問題が消えたら、僕の食べるものがなくなってしまう。

君はスターバックスで瞑想する男を見かけたことがあるか。

それはよく晴れた朝。耳栓をつけながら過ごす爽やかなスターバックスで、空白の時間帯。開店時間に訪れると、それから会社に出かけるまで、たっぷりと3時間はある。やりたいことが山ほどある時は、それでも足りないぐらいなのだけれど、1mmも思いつかない時は、まったく時間を持て余してしまう。だけど1時間も過ごしていると、ふつふつと、エネルギーが出てくることは多い。問題は、エネルギーが湧き上がってくるか、こないかは、本当に体任せで、自分にはコントロールできないということ。まったく予測がつかないのだ。自己洞察力がまだ低いのだろうか。たぶんそうだろう。だが予測不可能性の高さも極めて大きい。予測能力が低い、もしくは変動性が高い個体として生まれてきてしまったのかもしれない。もしくは人間の共通の原理なのか。瞑想をしようかなと思う。もう長年していないフォーマルな瞑想を。たとえば頬杖を付きながら瞑想をするのとでは、ほとんど姿勢は変わらないけれど、手と手を組むだけでも、かなりの効用の違いは感じられる。清々しいエネルギーが体を流れてくる感じ。問題は、もう暫くの間やっていなかったことを、いまやるのかということ。やっていなかった期間がもったいなかった感じがする。だけど以前は機能しなかった物事が、機能し始めることもある。いま機能することがらを、キャッチして、おこなう。それだけの話だ。何も矛盾はしていない。朝の空白の3時間に、瞑想のエネルギーを流し込めれば、ただただ時を過ごすだけではなく、自分の中の静寂に降りていけそうな気もする。そんなことを考えていると、目の前の席に女性が座り、お百度参りみたいな、なんというんだろう、和風で三角錐的な形をした帽子を置いた。やはりこれは禅をおこなえという、禅の神からのお告げなのかもしれない。今日も禅にトライする1日にしよう。命は短し。禅をしながら生き、そして死に、最後に空白になろう。とても恐い死とうまく付き合おう。数十億分の塵よ。

心から嫌いな物事を、もっと嫌いだと、自己認識しておきたい。

たとえば、Macでアプリケーションのウィンドウを切り替えて、眼が泳ぎ、意識のコストを支払っている瞬間とか。たとえばスターバックスカードの裏のベタベタを剥がして、わずらわされている瞬間とか。たとえばプログラミングで、わからない物事を前にして、呼吸を止めている、頭が雑然とした瞬間とか。自分が思うよりも、想像以上に、自分が、苦手で、嫌いなことがらが、たくさんある。認識さえすれば、対処できる。静けさのある呼吸に、何度でも戻り、戦争から平和へと、そうだ。

Original By

https://github.com/YumaInaura/YumaInaura/issues/822