そして誰もいなくなった 2019-03-19
エセ哲学者の能力は、あまり銭にならぬ
おでんの熱いつゆを飲み下す永遠でさえ、一瞬である
ガムの糖衣を噛み砕く一瞬でさえ、永遠でない
プライベートな Slack のチャンネル名を ninja にしようか tokoshie にしようか、 それとも kagerou か
yoyami か yamiyo か kuragari かということに、ひたすらに悩んでいる
名前が変えてしまうものの大きさは、どうやら事実みたいだから。
眠るのは死ぬ訓練という感じがする
人と関わって生きるか、関わらずに生きるか、二択の質問には、あまり意味がない
問題は、どの程度のレベルで、関わって生きるかということだ。
後悔のない人生を送りたいだって? 贅沢だな
いつ死んだって後悔は残る。それが人生だ、分かるか。
プログラミングは孤独になれる方法かもしれない
プログラミングで数十文字を打ち込んだり、少し設計について考え事をするだけで、目を閉じて、15分間の休憩が必要になる感じがする
ひどい体力だ。
自分が一番得意なことは、あまりにも簡単なので、まるで得意じゃない感じがする
病には独特の感覚がある
むしばまれるという表現がぴったりな。
Twiterのフォローを0にする実験
つけっぱなしのTV番組じゃなくて、自分で読みに行く本にするのだ。いくつものユーザー体験の違いが出てくるはず。むしろ他の人のアカントをよく見るようになる。「この人はフォローしない人だ」とひと目で分かる。永遠にフォロー人間関係で悩まなくて良いなど。
駆け出しのエンジニアの頃、僕は人より10倍も速いスピードで、プログラミングしようと思っていた。
だけど実際には、人よりも10倍も遅かった。手を動かすスピードじゃなくて、コミュニケーションの方法がまずかったり、要件定義の問題で、恐ろしいほどの手戻りが発生したりしていたのだ。今でも、自分が思う理想よりも3分の1ぐらいのことしか、実際にはできないのだと、心を決めている。実際にそうなのだから。だがそれでも、仕事はちゃんと回っているようだ。エンジニアの仕事は、本当に、わずかずつの、パズルの組み合わせであり、ピースさえうまくはまえれば、最小限の力で、最大限の力を出すことが出来るんだよな。
プログラミングや業務の手順などで、おそらく自分が意識できない部分で、複雑性に行き当たって、なんだか嫌な感じがした時は、ぐっと足の裏に力を入れる。
堺筋マッスルに訴えかければ、ある程度、もやもやしたストレスを解消できる気がする。ストレスというとまあなんとも、もやっとした平凡な言い方で、嫌なのだけれども。
疲労感というのはなんとも不思議なものだ。
単にエネルギー低下とは認識できず、世界観まで変わってしまう感じがする。やはり脳のハッキングが起こる。これを単純なメーターの下降だと認識できれば。