お金と詐欺と悔しさと。騙された1万円は悔しい。友達のプレゼントに使った1万円は嬉しい。お金の感情問題は実は、お金の問題じゃないのかも。人類最大の富豪だったヘンリーフォードも、ポーカーで負けた15ドルが忘れられなかったらしい。

お金の後悔は根強い。具体的なお金の問題もあるけれど、心理的に、自分が思ってたのと違ったと言うパタンがとても辛い。 https://t.co/7fNaWTR0WO

お金は情報空間の中にしか存在しないと言う事はわかっているのだけれど、究極的にはね。

だけどどうしてもお金のことが頭をついて離れない場合というのがある。

その心理状態をたどっていったら、実際には、本当にお金が問題なのではなくて、納得の行くお金を使い方ができなかったと言うことが、とても悔しかったんだと言うのに気づいたことがあった。

お金が減ったから悔しいのじゃなくて、自分が納得できなかったから悔しい。

一口にお金といっても、その中にある感情は、実はお金そのものではないんじゃないだろうか。パターンによっては。

例えば、10,000円を何らかの事情で、失ってしまった。その記憶が、1万でなくなる。預金口座から10,000円がなくなっている。だけど記憶は無い。

仮にそんな状態であれば、銀行口座に残っているお金がいくらであっても、とてつもない悔しさは生まれないような気がするのだ。

なのでお金の事は忘れて、今後もずっと幸福に生きていくことができる。これはお金だけじゃなくて、記憶できるもの全てに言えることかもしれないけれど。

メンタルや肉体の場合は事情が違う。たとえ記憶がなくなったとしても、メンタル的なダメージや、肉体的な例は、すぐに手放すと言う事はできないだろう。回復までにも時間がかかる。

だけどお金と言うものは違って、基本的には、銀行口座に記録されているデータの違いに過ぎないのだから、たった1bitだけでも、その情報に左右されているのは、僕らの感情であり、そして社会のフォーマットというか、人間の約束事、行動の方だ。

ところで人類史上最高のお金持ちだったと言われるヘンリーフォードは、それだけ巨額の富を持ちながらも、友達とポーカーで負けた15ドルがずっと忘れられなくて、延々と恨み言をつぶやいていたらしい。

例えば同じ10,000円を使うのであっても、友達にプレゼントを買った10,000円、思いがけず納得のできない使われ方をした10,000円、詐欺にあった10,000円などでは、全く感情が変わってくるだろう。

お金と詐欺と悔しさと。騙された1万円は悔しい。友達のプレゼントに使った1万円は嬉しい。お金の感情問題は実は、お金の問題じゃないのかも。人類最大の富豪だったヘンリーフォードも、ポーカーで負けた15ドルが忘れられなかったらしい。f:id:yumainaura:20190122003002p:plain https://t.co/WLT25smjvZ