Twitterでリプライするとき相手のプロフィールを読んでる?何も読まずにリプライを送ると人に依存した固定概念から自由になれるかもしれないぞ。Twitterで人間社会のトレーニングだ!
意外とこの方法、無意識に実践していたかもしれない。Twitterでリプライを送る時、相手がどういう人なのかをまず確認しない。そんなことしてたら、ただ時間が過ぎてしまう。
https://twitter.com/yumainaura/status/1085153180600565760?s=12
だけどプロフィール画像とかで、ある程度固定観念はできてしまうし、完全な脱却は難しいかもだけど。人依存じゃない世界:-)
Twitterでリプライをする時、まずどんな人か確認しない。ツイートをやり取りしているうちに、相手のことが気になって、
あー僕はこんな人とやりとりをしているんだなぁと気づくことがある。
これは良し悪しではない。だけど僕の場合は、とにかく何か気になるツイートやアカウントがあったときに、プロフィールを1回1回確認していると、とても時間がかかってしまって、結局は何もできなくなってしまったりするので、本能でツイートするために無意識にプロフィールなどの情報読んでいないのかもしれない。
Twitterの楽しみ方もいろいろあるけれど、まず相手がどんな人間かを確認すると言う癖は、偶有性が生まれにくくなるからちょっと僕にとっては面白くないな。
慎重に慎重に相手を確認して、失礼がないように気をつけて、
権威があるかどうかを見て、ツイートする価値があるかどうかを判断して、それでリプライを回したりと言うのは、なんだかとても、偶然が起きにくい手法のような気がする。
僕は今Twitterで偶有性の波に飲まれたいと言う思いがあるので、なるべく固定観念はなしに、ツイートの単位で反応して、リプライをつけたい気持ちがある。少なくとも1番はじまりは。
もちろん最初に書いた通り、プロフィール画像があったり、
そのアカウントがどんな人の友達だったかがそもそも表示されていたり、今テキストや固定概念から完全に自由になる事は難しいと思う。今テキストが全く存在しないインターフェイスでは無いからTwitterは。
だけど大体70%位の偶有性というか、人に依存しない、つい人に依存するTwitterの世界を楽しみたいと思ったりしている。そしてもとのツイートにもあるように、Twitterがやっぱり人間世界の縮図であり、realworldのトレーニングにも使える、素早いフィードバックを受けて、
自分自身の動き方をアップデートできる場所であると再確認できたのは、大いなる収穫であった。
ということでTwitterの使い方をまたひとつ進歩させることができる気がするぞ。ほんの21日になって、下心をなくしていくのだ。もっと茂木健一郎言うところの、偶有性に身を任せて、セレンディピティーを見つけるようななんだかそんなTwitterライフが素敵な感じがするな。
続きは別の話で。