シーマンとTwitterとBot

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共感や同意はすごく重要だけど、無理にする必要は無い。

共感や同意できてないのにもかかわらず、共感しているふりや、同意しているふりをしてはいけない。それは相手に見透かされると思う。

すべてに共感や同意をしていると、薄くて浅いそうですね、の言葉しか出てこなくなるだろう。

そうですね、の言葉しか返ってこないと、人間ではなくボットと話してるような気持ちにならないだろうか。

昔のゲームのシーマンみたいに、ときにはなだめすかしたり、聞かないふりをしてみたり、反論だってして欲しい。

僕らはイエスもノーも言えるから人間なんじゃないだろうか。

そう言いつつ、僕も日常会話ではまずそうですね、わかりますと言う言葉から文章を始める癖がついている。

だけどそうですねと言う言葉を言った一瞬後から、なぜ同意できるか、共感できるかの理由を脳が探し始める。

つまり大事なのはイエスかノーそのものではなく、相手の発言から

体験したことのない世界へ、いっぽ前に進むことなのではないかと思う。

自己体験の枠を超えて相手の世界に踏み出さなければ、それは人間と喋っていると言うことでは無いのだきっと。

少しだけ目を閉じて、自分の脳を超えてみてもいいのかもしれない。人と話すときには。

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