アウトプットする習慣って本当に大事? ( ブロガーの悩み )
「インプットの趣味より、アウトプットの趣味を持ちなさい」という。
「日本人は、アウトプットをしなさすぎだ」と。
だけど、アウトプットにはアウトプットのデメリットもある。
それも、かなり大きなデメリットが。
と僕は思う。
アウトプットのことばかり考えてしまう
それは何かというと、たとえ自分がいつどこで、たとえ何をしていても
「この体験を、どうやってアウトプットしよう」
と考えてしまうことだ。
- 映画を観ながら「この感想をどうブログに書こう」とか
- 本を読みながら「学んだことを、どうアウトプットしよう」とか
- 友だちと話しながら「この話をどうやってブログのネタにしよう」とか
そんなことを考えて、今、目の前で起きていることを、うまく体験できないケースによく出会う。
アウトプットの趣味があるからこそ、楽しめる時もあるれど、
アウトプットの趣味があるせいで、楽しめない時もある。
もし仮に、アウトプットなんか習慣がなければ、
もっと純粋にインプットだけを楽しめたのかもしれないのに。
アウトプットの趣味には、確実に「体験を汚してしまう」という性質があるように思う。
(僕はアウトプットの上級者ではないので、まだアウトプットとの付き合い方が下手なのだ)
インプット VS アウトプット
僕が最近強く思うのは、
アウトプットな趣味を楽しむことが出来るのは、あくまで、
インプットのクオリティが保たれてる場合に限られるということだ。
つまり、アウトプットによって、インプットの質が落ちてしまっては、本末転倒だ。
たとえば、腹が減っては戦は出来ない。
お金がなければ物を買うことは出来ない。
息を吸わなければ吐くことは出来ない。
同じように、インプットしなければアウトプットは出来ない。
インプットの質を落としてまでもアウトプットするのは、最も大事な部分、魂を奪われているようなもんだ。
「ファーストアルバムが一番良いアーティスト」は
たとえば音楽のアーティストでも、作品を作ることばかりを考えて、スタジオにこもっていても、きっと良い作品は出来ないだろう。
たとえば一般的に、アーティストの最初の作品というのは、それまでの人生のインプットを全て詰め込むものだから、濃密なものになりやすい。
(例外もたくさんあるだろうが、それは成功したアーティストだ)
だけど、ほとんどのアーティストの作品が、時間が経つほど薄まってしまうのは、まさに「インプットが尽きるから」ではないかと思う。
だから、実はアウトプットよりもインプットのほうがずっと大事なのだ。
潤沢なインプットと、成果物のアウトプット
土地を耕す。
種をまく。
時期を待つ。
そして収穫する。
農作に例えるなら、この前三つがインプットで、最後の一つだけがアウトプットだ。
僕らが実際に「成果物」を収穫するまでは、目に見えない色々なプロセスが働いているのだ。
と僕は思う。
まとめ
良質なインプットをしよう。
良質なアウトプットをしよう。
良質なインプットは、アウトプットの5倍大事にしよう。