美食とは何か | 志摩地中海村 「地中海レストラン RIAS」 の思い出
坂の下、海のふもとに
その店はあった。
夕陽が照りつける席だった
ポールスターも3倍美味く感じられる。
田舎者はこんな風に、写真を撮りながら料理を味わった。
メニュー
前菜
オードブル
スープ
海のメインディッシュ
陸のメインディッシュ
デザート
味わう技術
料理を「味わうこと」には、実は技術が要求される。
たとえば、クラシック音楽の鑑賞に技術が要求されるのと同じだ。
ヨーロッパの美食は「食べる側の、味わう技術」に対して挑戦してくる。
- 味わえば素晴らしい体験が出来る。
- 味わわなければ貧相な体験に終わる。
味わうという努力をして、はじめて真価を理解することが出来る。
メッセージのやり取り
ヨーロッパの美食の好きなところは、そこだ。
料理がこちらにメッセージを投げかけてくる。
こちらは、それを受け取るために感覚を研ぎ澄ませる。時にはこちらから問いかける。
そして「なるほど、そういうことか」と理解する。
- 料理と舌(ならびに他多くの感覚)とのコミュニケーション
- 料理人とお客さんとのコミュニケーション
が存在する。
料理と人間の関係
美食の世界では、料理と人間が、対等な関係にある。
- 「人間が料理を食べてやっている」
- 「料理が人間に提供されている」
という上下関係や慢心は、ここにはない。
食事は体験
僕はこの日「これこそ食事というものだ」と思った。
今までの人生で、最も体験的な食事だったと思う。
1秒ごとに作り出される情報を、どれだけ多くキャッチできるか。
どれだけ食事という時間を、体験的なものに出来るか。
解像度は高ければ高いほど良い。
と言ってもガチガチになって頑張るわけじゃない。 あくまでもリラックスしながら、優しく、だけど途切れなく、料理とのコミュニケーションを続けるのだ。
ストーリーの手順
- 皿に盛り付けられた最小限のソースと、組み合わせによって変わる味わい
- スパークリングワインの泡が登っていく光景
- グラスを持った時の手の冷たさ
- ナイフとフォークを使う手の動き
- 料理を取り分けて、目の近くまで持ってくる時の
- 目を楽しませた後で、最適なタイミングで口に運ぶ
- 口の中に料理を含みながら、
1秒も無駄にしたいと思う時間はない。
これらの順序の全てが、食事というストーリーであり、体験なのだ。
ところで写真には「体験」まで封じ込めることが出来ない。
こればかりは、自分で味わってみるしかない。
後半
だが後半になると、やや注意力が落ちてくる。 舌が味わうことを諦めようとしてくる。
だが、そこで投げやりにならず、最後の最後まで繊細に味わいながら、食事を終える。
それがきっと、料理を味わうということだ。
周りの環境
そして周りの環境は、食事という体験をさらに解像度が高く、質の高いものにしてくれる。
- レストランの外観、内観、目に見えるもの
- ちょうど良い音量で流れる音楽
- 景色、窓から差し込んでくる光
- スタッフの人のはからい
- 料理が出されるタイミング
このレストランでは「食事という体験」を重視してくれているなと感じた。
ごちそうさまでした。
帰り道
料理長の太田裕さん
ならびにスタッフの方々。
(直接はお話していませんが) ありがとうございました。
( 公式サイトより )
追記 - コース料理の良さ
コース料理の良さとは何か。
それは集中力を目の前の一皿に注ぎ込めるということだ。
僕らの目の前には、常に一皿しか存在しない。
だから、その一皿を愛することだけを考えれば良い。
たとえばすべての料理が、いちどに目の前に並べられたとしよう。
すると人間は、それを味わいながら食べることなど出来ない。
注意力は散漫になり、きっとコース料理を食べるときよりも、2倍以上のスピードで、1/2以下の集中力で平らげてしまうことだろう。
提供の方法によって、人間の行動は変わり、料理の味わい方も変わる。
フルコース料理は人間の集中力を最大限に引き出す提供方法だ。