吉良吉影に休日の過ごし方を学ぶ

最近思うこと。

休日の過ごし方がうまくなった。

昔よりも、かなり。

昔は下手だった

「あれもしたい」「これもしたい」と思いを巡らしては、どれもこれも中途半端で、ただただ無為な時間を過ごしていた。
休日も終わりかけになると、自分の意志の弱さと、時間の儚さに悲しくなるばかりだった。

100のことを思い描いて心を踊らせたのに、実際に出来るのは1か2ぐらいのことだった。

「有意義」という文字を砂に書いて過ごした。

とにかくひとりでは何も出来なかった。

今年のゴールデンウィークの過ごし方

  • 1日目 カフェで過ごした
    • 2階席でブログを書いていた
  • 2日目 カフェで過ごした
    • 2階席でブログを書いていた
  • 3日目 スターバックス MeRIZE 店で過ごそうとするも、体調不良を起こす
    • 帰宅して18時間ぐらい寝て過ごした
  • 4日目 カフェで過ごした
  • 5日目 カフェ過ごした

そんな5日間だった。
ちなみに全て同じ店。

知る人ぞ知る伝説のカフェ「スターバックス」だ。
この期間で、ホットドリップコーヒーのサイズはトールからグランデ、そしてヴェンティへと進化した。

上達の理由

経験に注意を向ける習慣

  • 「あれをしたら有意義かも」
  • 「これをしたら有意義かも」

という選択肢に、あまりとらわれなくなった。 それよりも、たとえどんな選択をしても、今の時間を味わうことを重視するようになった。

そうしたら、どんな時間を過ごしていても、だいたい楽しく過ごせるようになった。

街をぶらりと歩いていても、ちょっとした発見と出会うことが出来る。
たとえお金を全く使わなくても、映画館に行かなくても、街を歩いているだけで楽しむことが可能になった。

世界それ自体が、穏やかなエンターテインメントであることを発見した。

ノートブックを持ち歩くようになった

アウトプット作業は、インプット作業にはない恍惚感をもたらしてくれる。
キーボードに向かって入力を繰り返していると、あっという間に時間が過ぎてゆく。

カフェに出かけるようになった

カフェの多い街に引っ越して、よくカフェに行くようになった。
自分が静かな場所で、のんびりと過ごすのが好きだということが分かった。

ひとり遊びが上手になった

  • 家にひとりでいると、ゆっくり出来るけれど、ひきこもり感がすごい
  • 外で人と遊ぶと、開放的ではあるけれど、自分の好きなことをする時間がない

休日には、この永遠とも思えるジレンマに悩んでいたのだが「外出 + ひとり遊び」という第三の選択肢を覚えた。 今はこれのスタイルを存分に楽しんでいる。

あとは1日に30分でも15分でも、人と話す時間があれば良い。

ちなみに今まで人生で、ひとり遊びをしたことは全くなかった。 何回か試したことはあったけれど、どうやって遊んで良いかが分からず、途方に暮れるばかりだった。

時計を見る回数が減った

「今日があと何時間残っているか」を、あまり考えないようになった。

ただ今を過ごしているうちに時間が過ぎれば良いし、日が暮れれば良いと思うようになった。

休日の定義

今では休日は、何かを成し遂げるためにあるのではないと理解している。
たとえ何を成し遂げようと、成し遂げまいと、少しでも多くの「今の瞬間」を体験するためのものだと考えている。

それが仕事の勉強という発展的なものであろうと、街をぶらぶらするという非発展的なものであろうと、重要なのは、特定の時間を過ごしているという体験そのものなのだ。

理想の休日

もし「理想の休日」というものがあるならば、吉良吉影のこのセリフに、僕はものすごく共感を覚える。

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そしてもっとも重要なのは
このすてきな青空を眺めることであり
移動する景色をゆっくりと楽しむことなのだ
それ以上に重要なことがこの世にあるのか?
(「死刑執行中脱獄進行中」より)

いや、ない。

今日は街でたんぽぽを見つけた

あまりに久しぶりに見かけたので、この植物の名前を思い出すのに30秒ぐらいかかった。

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そんな暖かな、ゴールデンウィーク最後の日の午後だった。