会社のドアの指紋問題 〜 マナーと決定の機会の関係 〜
会社にはドアがある。
そして「指紋で汚れていたら、拭き取ってください」という方針がある。
ドアにタオルも備え付けられている。
前提
この方針は、はるか以前に社内チャットで1度だけ共用されただけのものだ。
自分はなぜかそれを今でも覚えていて、たまに実践している。(気になる性格なのだ)
ちなみに、自分以外で拭き取っている人を見かけたことは全くない。
迷いのドアが現れた
迷う。
このドアを開くたびに迷う。
- 指紋を拭き取るべきなのか。
- それとも、拭き取らないべきなのか。(数秒間ではあるが、仕事を優先すべきなのか)
- ドアは汚れていないこともある。なので、毎回通るたびに拭き取る必要はないはずだ。
- なので、拭き取るとしたら、ちゃんと汚れているときに拭き取るのが良い。
- しかしそもそも、どのレベルの汚れで拭き取るべきなのか。
- たとえば「汚れのレベル」を10段階で評価してみて、5以上であれば拭き取るというルールにしてみようか。
- 指紋は気になるが、仕事のことを優先すべきときもある。
- 「仕事のことで優先すべき時は拭き取らない」というルールにしてみようか。
- しかしこれでは「ドアの汚れレベル」という評価軸に、さらに「仕事の優先度」が加わることになる。評価軸が管理しきれない。
- では「個人の感覚で、指紋の跡が気になったら拭き取る」というルールにしてみようか。
- しかし、気になると言えばいつでも気になる。「ちょっと気になる」レベルの汚れと「すごく気になる」レベルの汚れがある。
これは全て会社に言われたわけではなく、自分が勝手に考えているだけの事柄だ。
なのでいっそ「もう、絶対に拭き取らない」という選択肢をしてしまった方が楽だとよく思う。
なぜこんなに迷うのか。
よく開くドア
ドアひとつ、指紋ひとつ(いや、指紋の跡が数十個)ひとつでも、ここまで人を迷わせるなんて。
ドアの指紋を拭き取るか、拭き取らないか。
これは些細な問題に思えるかもしれないが、
- ドアというのは1日に何回も開く。
- 行きと帰りで2回は開く。
- 1日に10回はこのセットがある。
- つまり1日に20回は判断をすることになる。
- 5営業日では、100回もドアを開き、100回も判断をしていることになる。
- これを1ヶ月、1年で換算してみると…。
伊達にならない回数、判断を繰り返していることになるのだ。
曖昧な基準
- 「絶対にやる」ことであれば、迷わない。
- 「絶対にやらない」ことであれば、迷わない。
- 「どちらでも良い」ことは、迷う余地がある。
このドア指紋問題を考えてみると、一見些細な事柄のように思えるが、
- 行動が個人の裁量に任されている。
- 判断の基準が曖昧である。
- 何度も繰り返し判断の機会が訪れる。
という、大きな問題を抱えていることが分かる。
意志力
最近の科学では、人間の意志力というものが、消耗するものだということが分かっている。
なのでこのドアの指紋ひとつとってみても、馬鹿にはならなくて、1日に20回も意志力を消耗しているということになる。
人間社会のマナーとは
無意識にこういう問題を感じているからこそ、人間社会全般において、マナーは守られない傾向にあるのかもしれない。
- マナーの実践は、個人の裁量に任されている。
- マナーの判断の基準は、曖昧である。
- マナーは、何度も繰り返し判断の機会が訪れる。
マナーには、人間の意志を消耗させる要素が揃っている。
これが1日に数回程度の機会ならば良い。けれど決定の機会は膨大だ。 もし僕らがすべてのマナーを守っていたら、意志力はすぐに枯渇してしまうかもしれない。
このように、あまりにも多くの決定の機会に晒された結果、誰もが街のゴミは拾わなくなるし、倒れた自転車は起こさなくなるのではないだろうか。
「対応しない」と決めてしまったほうが、ずっと楽だ。 それだけ決定の機会を減らすことが出来るから。
たとえば、人口の多い都会であればあるほど、決定の機会は膨大になり、誰もマナーというものを気にかけなくなる傾向にある。
これは個々の人間性ではなく、社会の力学の問題、決定の機会の問題だ。
まとめ
- 人間は日々、膨大な決定の機会にさらされている。
- 決定の基準が曖昧だと、毎回、意志力を消耗することになる。
- ドラえもんに「いつでもピカピカドア」みたいな道具を出してほしい。
関連
オバマ大統領はある論文を引用し、どれだけ単純な決断でも、その後の決断の精度を下げる要因になり得ると説明しました。
この記事を書いた後に見つけた記事。