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時間を忘れて夢中になる具体的な訓練

時間を忘れている感覚、というのはとても心地良い。

一般的には「無我夢中」と言っても良い状態。 だが、それとはちょっとだけ違う。

「無我夢中」という熱いイメージがあるけど、別に熱くなる必要はない。

いまじんおーるざぴーぷる。

たとえばとても暖かい日、ゆったりとした景色を眺めながら、ただただ、ゆっくりと時間が流れてゆくところをイメージしてみる。 これは「時間を忘れる」という体験の一種だ。

たとえ松岡修造でなくても時間を忘れることは出来るのだ。

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ずっと昔の話

ところで。

僕たち人間はそもそも、昔は時間という概念を持っていなかった。 例えばこの原題でも、アメリカの田舎なんかでは、時間という概念が希薄な世界が残っているそうな。

時間という概念は、人間社会によって後付けで作り出されたものだということに、あなたは気付いているだろうか。

僕たちが最初から持っていたものではない。 もともとは存在しないものなのだ。

「でも、今日が過ぎたら明日が来るじゃないか」とあなたは思うかもしれない。

甘い。

今日、明日という概念さえも、僕たちが作り出したものだ。

この世界は、地球の自転の周期によって、明るくなったり暗くなったりを繰り返す。 その区切りに対して「今日」「明日」という区切りを与えたのは誰か。人間である。

世界はただ、明るくなったり暗くなったりを繰り返しているだけだ。

条件付け

僕らは「時間」という概念に反応するように、繰り返し繰り返し、子供の頃から教育されている。

テレビにも、駅のホームにも、iPhone 6sにも時計は存在する。 そして、時計が存在するから、時間が存在する。

数十万回、数百万回の条件付けによって、時間は「確かに存在するもの」として世界に現れる。

逆に時間が存在しないなんていう世界を、僕らは全く想像できなくなってしまった。

これが条件付けというものだ。

測定における時間と文化的な時間

ちなみに厳密な意味では「時間がある」と仮定することは出来る。 なぜなら時間が進まなければ、いつまでも矢は止まっているはずだ。

だが僕らが日常生活でイメージするような「時間に応じた行動習慣」「時間を軸にした文化」は、また別のものであると考える。 (別のもの、という語彙しか僕にはないのだが)

1/10の時間

閑話休題

最近僕は、時間というものをあまり気にしなくなった。 正確に言うと、気に病まなくなった。

もちろん平日の朝は、時間通りに会社に行く。 Google Calendar に予定も登録するし、寝る時間だって決めている。 ちなみに部屋に置き時計もある。

だが心の中で「時間を気にする回数」がどんどん減っていっている。 自動的に減っていってるのではない。意識的に減らしていっているのだ。

たとえば仕事をしている時、あまりに時間を何度も気にしていると、目の前のことに集中できない。 「あと何分で定時だろう」なんて、頭の中で1000回も数えるような仕事は、とてもつらいだろう。

だから目の前のディスプレイに集中する。 時間のことが思い浮かびそうになるたびに、集中力をもっと重要なことに戻す。

仕事の予定は、1日に1回でも組み立てれば十分だ。 頭の中で何百回も時間のことを考える必要はない。

卵とニワトリのどちらが先?

人は夢中になるから、時間を忘れるのだろうか。 それとも時間を忘れるからこそ、夢中になれるのだろうか。

これは、どちらもが成り立つと僕は考える。 お互いに影響を与えあっている要素だからだ。

(世の中には双方向に影響している事柄が多い)

夢中になれば時間を忘れるし、時間を忘れることで、夢中の状態に近づくことが出来る。

たとえばこの記事を書いている時も、僕はいちども時計を見なかった。 なぜなら、時計を見た瞬間に意識は「記事の内容」から「時間」にシフトしてしまうからだ。それはとても勿体ないことだ。

時間を気に病むことは、逆に時間を浪費してしまうのだ。

ちなみに改めてだが、ここで言う「夢中」という状態は、ものすごく熱いものだけではなくて、リラックスしながらいつの間にか時間が流れていく状態も指す。

夢中になる訓練

何かに夢中になりたいなら、逆説的に、時間のことを忘れる訓練をするのが良い。

なぜなら「夢中になる」ということより「時間を忘れる」ということの方が簡単だからだ。 やることは明確だし、具体的な訓練が出来る。

ただ頭の中に時間が思い浮かんだ瞬間に、それを忘れて、目の前のことに注意を戻してやれば良い。

これを何百回でも、何万回でも繰り返すこと。 なぜなら僕らは人生で、何百万回も時間という概念に条件付けられてきたのだから。