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Yuma Inaura 稲浦悠馬 | とりとめもないこと

愛すべき Mac Book Air に捧ぐ

会話オウム返しのテクニックって

「ちゃんと話を聞いてた」ってことを示すためにあると思う。

相槌

  • 「へー」
  • 「そうそう」
  • 「はい」

こういうリアクションは、話を聞いてなくても出来る。 だから話し手は、相手が「本当に聞いている」のか「テキトーな相槌を打っているだけ」なのかが分からない。

オウム返し

  • 「へー、いちごにマスタードかけて食べるのが好きなんだ」
  • 「えっ、10階から3階に目薬を差したって?」
  • 「確かに、丘サーファーってどんな意味かわからないよね」

これがオウム返し。 内容的には相手が言ったことを、そのまま返す。

なんでこれでコミュニケーションが成立するんだろうか?

それは「オウム返し」というのは、少なくとも、話の内容を聞き取れていないと成立しないからだ。 逆に言うと「オウム返し」が出来るというのは、最低限「話の内容は伝わっている」という証明になる。

さらにレベルを高めると

話し手が伝えようとした意図をまとめたり、翻訳したりも出来るようになる。

ただし「話をまとめようとする」行為にも、表面的には同じように見えて、質の違いがある。

BAD

  • 「要するにさあ、君の話は」って偉そうに言うのは、だいたい理解を外してると思う。
    • 「お前の話、分かりづらいけど、もっと端的に言えよ」っていう感じ。
  • これは「自分の理解のフレーム」の中に「相手の意図」を無理やり入れようとする行為だ。
    • つまり「理解しよう」とはしていないし「理解のフレームを広げよう」ともしていない。
  • こんな対応をされたら、話し手は。さらに説明するのを諦めて「はい、そういう意味です」って返してしまうだろう。
  • 聞き手は、やっぱり自分の理解が正解だったと思い込んで、満足する。その後の人生でもディスコミュニケーションを続けていく。

GOOD

-「私が考えるに、あなたの意図は、こういう意味だと思うけど、合ってる?」というのが、キャッチアップ的なコミュニケーションだ。 - 自分は相手の話を理解できていないかもしれない、という立場に立つ。なので理解に務める。 - 理解が難しい事柄であれば、理解のフレームを広げようとする。(分からないことがあればよく考えたり、質問をする) - 自分の理解を、自己満足で終わらせず、相手に投げ返す。 - 投げ返したものは正解かもしれないし、不正解かもしれない。だけど相手のリアクション次第で、そのどちらかが分かる。 - 相手から返っていたリアクション次第で、自分の理解を補正する。 - こうやって「キャッチアップ的なコミュニケーション」をする人は、人生において、コミュニケーションの理解の精度を上げてゆく。

閑話休題

「ただの相槌」「オウム返し」

これは、どちらが良い? って問題ではない。

「ただの相槌」が嬉しい人もいるだろうし、 「オウム返し」的リアクションが嬉しい人もいるかもしれない。

だけど重要なのは「話がちゃんと伝わってるよ」っていう証拠だ。この伝わり方はどうでもいい。 これはコミュニケーションのかなり基本の部分だと思う。

(だけどこの基本を僕らは、ほとんどの場合はうまく出来ていないんじゃないだろうか)

別に

このテクニックを使ったからと言って、人と仲良く出来るわけじゃない。 というより、会話にテクニックは要らないと思う。

テクニック重視の会話は最悪だ。

  • 「あ、この人いま、オウム返しのテクニックを使ってるな」
  • 「この人、いきなり呼び捨てにしてきたけど、これも親密度を上げるテクニックだな」

とか分かってしまうと冷める。 たとえテクニックの名前自体は知らなくても、なんとなく「この人のコミュニケーション、変だな」っていうのは無意識レベルで伝わってきたりするだろう。

何故なら人同士のコミュニケーションというもの自体、ほぼ非言語レベルでおこなわれるものだから。