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Yuma Inaura 稲浦悠馬 | とりとめもないこと

愛すべき Mac Book Air に捧ぐ

あなたは「ぼーっと」できる性格? できない性格?

自分は昔から「ぼーっと」できない性格だった。

ぼーっとしようとしても、頭のなかに雑念や、いろいろな不安が浮かんできて、まったくそう出来ない。 逆に、ぼーっとしようとすると疲れてしまう。極端にその傾向が強かったように思う。

なので「ぼーっとするのが好き」という人と出会うと、自分とはタイプが違うと勝手に思っていた。

そして、これは性格のせいだと考えていた。 そう思い込んでいたし、そういうことに決めていた。

だが最近、少しだけ「ぼーっとする」ということのコツが分かりかけてきた気がする。 変化の原因は、心の中に浮かぶ「不安」や「妄想」や「雑念」に気付いて、それをすぐに消すように努めていることだ。


世の中には、

「ぼーっと出来る性格」 「ぼーっと出来ない性格」

という二つの違いがあるわけじゃなくて、

実は「心に浮かぶ雑念」が多い人はぼーっとできないし、逆に心がクリアな人はぼーっとできる。 そういう違いなのかと思い始めてきた。

これはたとえば 「休日と平日で、頭の切り替えが出来る人、出来ない人の違い」 にも通じているのだと思う。

「ぼーっとする」というイメージとは全く無縁のような、スティーブジョブスさえも実は瞑想をおこなっていたという。 つまり「ぼーっとできる人」は、心から不安や雑念を切り離すことが出来る、マインドフルネスに近い人なのかもしれない。


今までは「思考」こそが尊いものだと感じていた。 「考えないこと」が怖かった。なぜなら「考えない」と、準備が出来ないままに、明日はすぐに来てしまうし、危険に対処できないかもしれない。 何も考えないまま、いつの間にか人生が終わってしまうかもしれない。 それが怖くて常に「思考」する。

「脳の自動的な働きで考えさせられて」おり、なおかつそれが「自分のコントロール下にない」という状態が、大人になってからずっと、一刻も休むことなく続いていた。 だから心がリラックスすることもなかったし、太陽の光を浴びて心から癒されることもなかった。

だが、この「思考」こそが、現在を消費させ、脳を疲弊させていた正体だったのだ。


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