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Yuma Inaura 稲浦悠馬 | とりとめもないこと

愛すべき Mac Book Air に捧ぐ

ドタキャンと音信不通に関して思う

卑怯者

まとまらない昔話。

「ドタキャンして音信不通」とか、 「そもそも待ち合わせに来ない」とかいうことに対して、強い怒りを感じる。

これは当たり前の話だと思うかもしれない。 だがひとつの事柄に対して、人によって、怒りを感じるレベルは違う。自分の場合は、これが強い。

ドタキャンや音信不通を、わりと僕は多くの人にかまされてきた。 逆にそれだけ、約束をして会った人はもっと多いという話でもあるのだけれど。

そんな経験を多く重ねるうちに、誰かと約束をしていても、 「どうせ来る確率は半分ぐらいだろう」とか「どうせ来ないだろう」とか、確率論で考えられるようになった。 けれど、ドタキャンの不快さはゼロにはならなかった。

思うことは、ドタキャンをする人が「正当な理由」を持っていることは、まず100%ないっていうこと。 どんなにまともらしい嘘をついていても、どんなに素直そうな顔をしていても、絶対そこには嘘が紛れている。 あとは人によって「どれだけ上手な嘘がつけるか」のレベル差があるにすぎない。

「人を平気で裏切れる」ことは才能かもしれない。

ちなみにドタキャンをした人は、だいたいその後、音信不通になる。 「話したくない」からドタキャンして、同じ理由で音信不通になるのだから、理が通っているといえば通っている。

しかし音信不通の悪いところは、相手に「怒る権利」さえ与えないということ。 「捨て台詞を言う権利」さえ奪って、一方的に逃げる。忍法か。

反撃の余地を与えない。自分が殴ったのに、相手には殴り返すターンを与えない。 なのでドタキャンとか音信不通をしてしまう人は、いわゆる「卑怯者」だと思っている。

人は意外と「ちゃんと怒れた時」というのは、後を引きずりにくいものだ。 怒りを引きずってしまうのは、ちゃんと怒れなかった時。怒りを表現できなかった時。

だから怒るチャンスさえ奪うドタキャン音信不通は嫌いなんだよな。

正直者

こう考えると逆に、ドタキャンをするにあたって「正直な理由を言ってくれた人」は貴重であり、 当時は嫌だったけれど、今思い返すと逆に清々しくさえある。

別に正直な理由が「気分じゃなくなった」でも良いんだよ。 「気分じゃなくなった」ということを、丁寧に、真摯に伝えることだって出来るはずじゃないか。

なんで人は「表現力の高い嘘」をつくために努力するのだろう。 「説得力のある本当」を言うために努力したって良いじゃないか。

どうしても嘘をつく必要がある部分以外は、なるべく本当の事を言うように、表現を本当に近づける努力をしていった方が良いと思う。 なぜなら嘘は簡単に「クセ」になるから。いつかどこかで破綻して、信用は目減りしていくから。